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6 Jan. 2021

女子高生とファッション&ダイバーシティを考える座談会を開いてみた

高田愛
産業カウンセラー/キャリアコンサルタント
高田愛

インクルーシブ・デザインとの出会い

 身長145㎝、足のサイズ21.5㎝の女子高生の私が、電通ダイバーシティー・ラボに出会い、自分の課題意識「どんな人にも合うファッションを考えたい」という提案をしたところ、座談会が実現。座談会の参加者は、スタイリストの草分けの一人佐瀬景子さんと、元アパレル資材商社勤務の笠間なつ美さん、147㎝でファッションに3年間で2000万つぎ込んだことのある高田愛。本記事は、岡本花奈と高田愛と共同で執筆。冒頭は、課題意識を持つようになった理由について、後半は座談会での学びについて書いていこうと思う。

145㎝の私には既製品の服が合わない問題

    

 157.8cm。これは、高校3年生の女子の平均身長。それに比べて、私は145cmと平均より約12cm 低い。幼い頃から、周りと比べて一際背が低い私は、友達と話す時も上を見上げて話すため、毎日首は疲れる。学校の椅子に座っても床に足がつかない。電車のつり革が届かなくて必死に次の駅まで仁王立ちをして踏ん張らなきゃいけない。欲しかった念願の服をゲットできても、自分の身体には合わずブカブカだったり・・・・・・。とても些細なことにも思えるかもしれないけど、私にとっては大問題だった。

物心ついた時から身長が低いことは、私の中で大きなコンプレックスになっていた。小学生の頃は、「髪の長さと同じ大きさだね」など、クラスメートから馬鹿にされたり、心ないことを言われることは日常茶飯事だった。悔しくても、何もできず、言い返せない自分の無力さ、弱さに嫌悪感すら抱いていたことも。

例えば、私はパンツをよく買うが、大人用は沢山切らないといけない。子ども用のパンツは、ゴムだからカッコよくない。足のサイズ21.5㎝では、大人用の靴がない。バレーシューズでも、こども用は幅が狭く履けない。洋服は、オーバーサイズのものを自分で直す技術もない。お直し屋さんもあるが、直していたのではいちいち価格が上がってしまう。ティーンは、100%お直し屋さんに行けてると思えない。

「ありのまま」を愛してくれた
スペインでの出会い

 しかし、小学6年生の時、身長が低いことに対する考えが変わる転機が訪れた。きっかけは、父のスペイン転勤でした。私は父に帯同し、スペインの首都マドリードで生活を送ることになった。こんなに小さな私を、みんなはどう思うだろう、また日本で会った人達みたいに影で笑って馬鹿にしたりするのか、そんな不安を抱えながら学校生活が始まった。

私が想像していた周りの対応とは裏腹に、多くのクラスメートが背が低いことを悪く言ったりせず、むしろそれが私の良さであり、誇るべき特徴であると言ってくれた。背が低いことをこんなに褒められ、そしてありのままの自分を愛してくれたことに衝撃を受けた。スペインで出会った友人の言葉で私はとても救われたと思う。自分自身に対しても前向きに考えられる様になり、大きな自信につながった。

インクルーシブ・デザインの手法を
ファッションにも転用できないか

 スペインでの経験を通じて、私の考え方は大きく変わり、自信を持つきっかけになった。私は、周りの人や環境に恵まれたことで今の自分がある。だからこそ、将来は、自分自身が、身長が低いことに関わらず、身体的マイノリティの人達に自信を与えるきっかけになりたいと思う様になった。そんな時に、出会ったのがインクルーシブ・デザインだった。
 インクルーシブ・デザインとは、高齢者、障害者、外国人など、従来、デザインプロセスから除外されてきた多様な人々を、デザインプロセスの上流から巻き込むデザイン手法で、この手法をもっと世の中に広める事ができれば、身体的特徴が原因で抱えていた多くの人々の悩みを解消する事ができるのではないかと思った。

そして、私はもっとインクルーシブ・デザインについて深く学びたいと思い、偶然ネットで見つけた電通ダイバーシティ・ラボの研究員の方全員に手当たり次第メールを送った。幸いなことに、林 孝裕さん、そして佐多 直厚さんと実際にお話をする機会をいただく事ができた。ミーティングを通して、インクルーシブ・デザインの知識に限らず、多様化する現代の課題なども教えてくださった。ミーティングを重ねる中で、パラディス会議にも招待してくださる様になり、そこで出会った知識経験の豊かな方達とも座談会を開催する様になった。

後編:座談会での衝撃と学び

マキシワンピは3度楽しめる

帯に短し、たすきに長しな服たちに苦悩する岡本さんに、こんな服の着方もあるよと話してみました。
高田:「例えば、最近私が買ったワンピースは長いマキシワンピなんだけど、明らかに私の身長からしたら40センチくらい切らないといけないのね。でも、こうしようと思っているの。①自分の身長に合わせて切る②斜めに切る③ウエスト辺りで切る。で、3度楽しめるなと。好きな服を買って、加工して着る。短くして、スニーカーに合わせてもいいしね。」

岡本:「なるほど~。ちなみに、会社は何でも自由な服を着てもいいんですか?」

高田:「あまり、よくないと思う。」

岡本:「え、、、」

高田:「社会人として相手に不快感を与えないスタイルはあると思う。私の場合は、命かけて服着てるから、キャラクターとして定着したのかも。」

岡本:「スペインの時は、露出があったり好きな服も着てて、日本に帰ってきてもそのスタイルを続けるぞ!と思っていたのに、海外より露出に対して日本はしにくい。やっぱり(同調圧力に)負けちゃって、誰にどう言われても自分の着たい服を着るという強い信念で着れる人はカッコいいけど、日本でも着たい服を着れるようになるにはどうしたらいいのかなということにも課題意識を持っている。もっと自由に着たい服を着られる文化になればいいのにと思う。」

背が低い=障害じゃない

 佐瀬さん:「背が低いということは、障害じゃないと思うんだ。だから、障害者と一緒に、ランウェイをというのはちょっと違うと思う。背が高い低いというのは、個性だから。背が高い人もいるし、低い人もいる。普通っていう人はいなくて、高い人と低い人の平均身長を割り出したら、普通の人とされているけど、たまたま平均値に近い人がいるだけで、普通の人はいないと思うの。身長が低いことは個性だから、なんか文句ある?って生きたほうがいいと思うの。それが自分だと割り切るほうがいいと思う。解るの身長が低いと時々不自由だよね。ウエストの位置が合わない場合は、自分で直す技術を持つ。困らないための努力できると思う。用意はできると思う。」

岡本:「自分で治す技術を持つとか、用意することができるのはわかります。たとえ自分が技術を身に着けて直せるようになったとしても、私以外の身長が低い人とかはどうなるんだろう?個性だからって言われると終わるんですけど。私は、身長が低い人が自信をもって生きられる世界にしたい。」

佐瀬:「髪型も身長の一部になる。」

岡本:低身長であることで、些細なことが出来ない、制限がかかってしまうことは大きな障害であると捉えていた。しかし、障害でもなく、それはただの特徴に過ぎないという意見を聞いて、私は衝撃を受けた。それと同時に、不便に感じることも自分にしか経験できないことだと思えば、前向きに考えられると学んだ。

ファッションは
元来差別的なものだった!?

佐多:「身長が低いということは、障害ではないと言われると、何この人差別的なことを言っているんだろうと思うかもしれないけれど、ファッションというものは、もともと差別的なものなんですよ。私のほうが先端なのよとか、セレブなのよ。ファッションというのは、勝った・負けたなんですよ。差別化するっていうことは、差別するってことなんですよ。ここにインクルーシブ・デザインを持ち込むということは、その差別が嫌だという意味なのかなと思う。ファッションの本質は、差別であるということを踏まえたうえで、差別があり得るべき範囲を作っていかないといけない。義足のファッションモデル障害があっても両脚自由自在に身長を変えられる。周囲のファッションモデルにずるいと言われる。スタンダードと比較すると「低身長」となって、スタンダードと同じになりたいと思うと引け目を感じるけど、自分を基準にどれだけみんなから認められていくものになるかということを考えていく。」※出典:「スーパーモデルと12組の脚」エイミー・マリンズ

佐瀬:「インクルーシブとファッションが融合できないものがある。車椅子に乗っている人は、車いすに乗っている人に合うファッションをデザインしないといけない。障害者も身長が低い人、高い人。太っている人、痩せてる人。肌の色……制作意図はそれぞれ違う。差別ではなく、本当に違うのだということを認識していないと、インクルーシブでいい企画を作ることはできないのではないか。」

 洋服が、どういう成り立ちでできているかを知るために、佐瀬さんが洋服の歴史をかいつまんで話してくれた。「ヨーロッパの貴族の社交界で着るものを作ってもらうのが、オートクチュールの始まり。エルザ・スキャッパレリやココ・シャネルが出てきた。ココ・シャネルは貧しい家の生まれで、孤児院で17歳まで育って、歌手になりたいと思って、バーで歌ってた。その時の愛称がココだった。そのうちパトロンを得て、帽子をデザインするようになった。その評判がよくて、その帽子に合うドレスのオーダーが入るようになった。サロンを開くようになった。同じ時代にいた、スキャッパレリは社交界の中の人だった。シャネルは社交界の中に入れないから、二人は互いに切磋琢磨した。サロンになって、オートクチュールが始まった。そのうち、デザイナーが出すぎて、オートクチュールだけでは社交界も限られているから、市場を広げるため一般のちょっと裕福な人に作るようになった。それが、プレタポルテ。そこで既製服を作るようになった。シャネルは、才能もあったけど、ドイツ人の愛人になって敗戦したので、フランスにいられなくなってアメリカに逃げた。アメリカでシャネルスーツを発表して、世界的に有名になった。」このような歴史から見ると、そもそもファッションが差別的なものだったということが感じられるのでは。
 最後に佐瀬さんは、「結局、既製品は売るため、儲かるため。女性が日々着たいものであって、男性にアピールしたいものであるから、夢を見させて買ってもらうような事業の一環。だから、それに右往左往してはいけない。それをいかに解釈して、自分に取り入れるかが工夫だし、洋服の着方。」であることを教えてくれた。

年収の1.5%がスーツの値段の相場!

 佐瀬:「(ファッションは)人生の目標だと思うの。だれと会うの誰と話すの。どこに行くの。自分を何様に見せたいのか、ということで着るものは変わる。色っぽくて、男性から寄ってこられる女性になりたいのか。誰に会うのか。着るものでどうにでもなるの。きちんと把握していれば何を着るべきかがわかる。自分の実像は見えない鏡に映った虚像しか見えない。洋服っていうのは、自分の好き嫌いではなくて自分をどう見せたいかで選ぶべきだと思う。」
佐多:「周りの人から評価されたいから、ファッションにこだわる。目の見えない人は、ファッションにこだわるときどうするか。どうすると思いますか?答えは、人に選んでもらう。最後のランウェイを歩くときは、ブレーンを引き連れて歩いてほしい。」
その人の暮らしぶりに合わせた
佐瀬:「男の人のビジネス用のスーツの選び方年収の1.5%のスーツが適当。年収500万だったら7万円のスーツを着るべき。年収が1000万のひとは、15万のスーツ。もしも年収が2000万ほしいなら、面接に30万のスーツを着ていきなさい。」(本当ですか!?)「自信になる。仕事にも表れる。スーツは戦闘服だから、奥さんが選んではいけない。自分に都合のいい旦那像に合うものを選ぶ。誰に会って、どこに行きたいから選ぶ。男の人の戦場を知らないで選ぶから駄目なの。」

今後やってみたいこと

座談会や、その他電通ダイバーシティ・ラボに携わる方々とのミーティングで自身の考え方や価値観が大きく変わり、濃密な時間を過ごす事ができた。将来、インクルーシブ・デザインを広め、身体的マイノリティの人達が自信を持てる社会をつくりたいという大きな目標を果たすために、これからも、沢山の人に会い、語り、自分自身のアイディアや志を発信する活動を続けていきたいと思う。そして、それぞれの人の特徴が活かされているファッションショーをやってみたい。と、岡本さん。

 洋服の歴史、何のために着るのか、自分がどう見られたいのか、どこに行くのか、どう生きるのか。ファッションの語るものは、ある種差別的であったりする。違うことに目をつぶって、なんでもインクルーシブにしてしまうのが是ではない。違うから、楽しくて、美しくて、素晴らしい。そのような側面も忘れず、これからもファッションを通じてダイバーシティーを考えていきたいと思う。

 

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取材・文: 高田愛
Reporting and Statement: aitakata

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