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Dec.

2024

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13 Sep. 2023

【前編】メンタル不調で会社を休んで気づいた大切なこと

北之坊公美
ライター/メンタルヘルスラボ
北之坊公美

メンタル不調を経験しても自分らしく働いていくためには?2022年11月、メンタルヘルスラボ代表の渡邊はるかさん、クリエーターの並河進さんが、自身のメンタル不調体験を語り、心療内科医の鈴木裕介先生が解説するイベントが、dentsu Japanの各社向けに開催され、200名超が参加しました。

「不調になって気づいた大切なこと。」

「不調と付き合いながら働くためには。」

「逃げていいものとそうじゃないものの違いは?」

ディスカッションの様子を3部構成でお届けします。

※本記事の体験談がみなさんに当てはまるとは限りません。何らかの解決策を示すものではないことにご留意ください。

~渡邊さんの場合~

せっかくここまでやってきたのに・・・

(渡邊)私が新入社員の時は、人の目を気にする性格と、就職留年してまで入社するくらい電通に強い憧れがあったことから、常に評価されたい気持ちや、仕事ができないと思われると見放されてしまうのではないかという怖さがありました。言われる仕事を全部引き受けるものの、終わらなくても周りに相談できず、忙しくなるとミスが生まれ、「もっと頑張らないと置いていかれてしまう」という焦燥感にかられ、睡眠不足が続いて体調が悪くなりました。

イラスト:渡邊はるか

実は就職前から気分の波がすごくあって、メンタルクリニックに通院していたので、また駄目だったと思うのも嫌でしたし、持病があったとバレたら大変なことになるのではないかとも思っていました。せっかくここまでやってきたのに、自分がメンタル不調だと認めると、メンタル不調が確定してしまうと思って、なかなか言い出せずにいました。結局、社内の医務室やトイレの床で寝る日々が続き、それが看護師から上司の耳に入り、「ちょっと休んだ方がいい」ということになり、入社した年の12月に休職に入りました。

その時は「やはりダメだった」という気持ちが強く、「同期に置いて行かれてしまう」「メンタルが弱くて休んでると思われたらどうしよう」「迷惑をかけてしまってどうしよう」などの思考に苛まれました。最初は友人にも休職のことを言えず、しばらく働いているふりをしていました。

 

2年間の休職。できたことは、自分の柱を増やすこと。

 休職当初は、とにかく寝ていました。最初は、焦りや不安に駆られていました。2,3ヶ月ほどして、体調が良くなり、なぜ休職したのだろうと振り返ってみるときに、会社が全てで、それが駄目だと自分を全否定してしまうことに気付きました。会社が全てだと折れてしまうので、趣味をつくろうと思い、絵が好きだったことを思い出して上野公園で似顔絵を描いたり、水彩画を習ったり、漫画家の夢を思い出して友達と少女漫画を描いて投稿したりしました。どの作品の主人公もクラスに居場所がなくて…でも最終的に大切な何かを見つけて、みたいな話で(笑)。ままならない状況を、何かを作ることで発散させようとしていたのだと思います。学生時代にやっていたバレーボールも再開して、当時の友達と会うことで、会社以外の自分の柱を増やしていきました。これなら会社がつらくても折れないかなと思い、2年の休職を経て復職しました。

今思うと、2年も休職できたのはとても恵まれていたと感じます。休職期間は、人の目ばかり気にして空っぽだった自分に水を与えるような時間だったと思います。

復職後、会社に行くのは本当に怖かったです。休職中は、目的地に行くのに、必ず会社の最寄り駅を迂回したり、同期に会うと心臓が飛び出るほどびっくりしたりしていたくらいだったので…。しかし、実際は、みんな優しく迎え入れてくれました。

会社はワンオブゼムという気づき。

 とはいえ、どう働いていくか結構悩みました。復職した部署は契約書等を扱う細かい仕事だったのですが、元々細かい事務作業がすごく苦手で。当時は残業があって忙しい仕事か、残業がないけれども細かい仕事かの二者択一になる傾向があり、上司も悩んでいたのではないかと思います。入社早々に休職した挫折感に加え、復職してもやはり自分は仕事ができないと何年も悩みました。

ただ、以前は、「仕事の愚痴を言ってはいけない、自分次第で何でもできる」と思い込んでいたのですが、 休職して、弱音や仕事の愚痴を言ってもいいと気づきました。 今は「この仕事が大変」「私はこの作業が苦手」と助けを求めて、できるだけ取り繕わないように心掛けています。

会社は ワンオブゼム、複数ある柱の一つだと思えるようになったことも大きな変化でした。会社でうまくいかなくても、バレーをしたらすっきりする。バレーで何かあったら、漫画を描いて 発散すればいい。幾つか柱を持つことで、自分の不全感をやり過ごすことができるようになりました。

その後、想像していたキャリアとは違いましたが、労働環境改革や新人研修の仕事をするようになり、「働きやすい会社を作りたい」「20代の人が不全感を抱かない会社にしたい」という思いが、仕事に活かされるようになりました。体調の上下を繰り返しつつ、通信大学で心理学を学び、2021年にメンタルヘルスラボを立ち上げました。メンタルヘルスというテーマに会社で取り組めているのは嬉しく思っています。

 

メンタル不調は環境のせい?自分のせい?

わかったことは、一人じゃないということ。

メンタル不調は、外から見えづらいことに加え、忙しい環境のせいなのか、仕事ができない自分のせいなのかが難しく、悩み続けてきました。元からの体質や性格 、周囲との相性もあり 、自分のせいだけでも環境のせいだけでもなく、いろいろな要因があると数年かけて消化していきました。

 プランナーになれなかった挫折感がありましたが、企画や創作などのやりたいことは、会社の外でもできるというのも大きな気づきでした。

 不調や休職は悪いことばかりでもないと思っています。休職したことで、自分の体質や環境を含め、努力でどうにもならないことがたくさんあると早々に気付くことができました。好きなことや、友達や家族にじっくり向き合えたことも、良かったです。 

 メンタルヘルスラボで、不調体験を共有する機会を重ねる過程で、不調のある人は意外とたくさんいると知りました。「自分だけじゃないとホッとしました」「共有できることに安心感を覚えます」と多くの声が届きました。過去の私に教えてあげたいのは、「一人じゃない」ということです。

このイベントの準備も一人で抱え込んでしまいそうになり、まだまだ自分を取り繕ってしまう性質は変わっていないのですが(笑)、そのうちこの闘いのような気持ちを置ければ良いなと思います。

~並河さんの場合~

不調の兆し。考えがまとまらない。

自分のこころが壊れそうな感覚。

(並河) 僕の体調が悪くなったのは、2010年の夏ごろ、37歳のときです。クリエーティブディレクターの役目をするようになり、やりがいはすごくあったのですが、仕事がとても忙しく、残業もトラブルも多かった時期で。自分自身で抱えきれない、いろいろなところからあふれてしまいそうな感覚がありました。何もなくても涙がこぼれてきたり、急に気持ちが沈んだり、何の理由もないのに、死ぬのではないかという不安にかられたりしました。 今日は、その頃の気分を書いた詩を幾つか紹介します。

 一つは「頭」というタイトルです。考えがまとまらないみたいな状態になっていました。

もう一つは「心のふち」というタイトルです。

自分の心が、すごくくっきりしてきて、でもそれが壊れそうな感じで、不安な状態になっていました。

 あるとき、 妻が「精神科に行こう」と言いだしました。病気を認めたら病気になってしまう気がして、どうしても認めたくありませんでした。ただ、肉体的にもつらかったのと、妻がすごく真剣だったことに心を打たれて、一緒に受診しました。パニック障害と診断され、先生から脳が混線している状態という説明を受けました。「体の病気と同じように、病気なんだ」と思うことで少しだけ楽になりました。

会社を休んで、考えたこと。

1ヶ月仕事を休んだのですが、休職中はひたすら家で寝て、よく泣いていました。何か頼るものがないと自分がどこかに行ってしまいそうな感覚があったので、安心するために木片をいつも握りしめていました。漫画を読んでいるときは別のことを考えられてとても助かりました。詩も書くようになりました。当時の気持ちを書きとどめて、誰かのためになったらという思いで書いていた気がしていたのですが、僕も、渡邊さんのように仕事だけではなくて、別の柱が欲しくて、詩やアート活動をやっているのかもしれません。「悲しい気分」という詩は、つらい気持ちを少しでもプラスに捉えたいと思って書いた詩です。

先生に脳が混線していると言われ、「ごちゃごちゃ」という詩も書きました。

ちょっと強引に、自分は創造的な状態にあるのだと思おうとしました。少し元気になってきたタイミングでは、一人旅に行って、「朝の光」という詩を書きました。軽くヨガをやって、先生が「呼吸は世界と自分をつなぐ道」と言っていたので、吸い込むことで少し楽になればと思ったりしました。

 

メンタル不調への偏見が自分を苦しめていた?

 ラボの活動に参加して、自分の中に大きな偏見があったことと、それが自分自身を苦しめていたことにも気付きました。偏見があったからこそ、自分がなったときにどん底の気分になったし、それを認めたくない気持ちにもなったのだと思います。

並河さんのより詳しい体験記は こちらの記事もぜひご覧ください。

 

――渡邊さんと並河さん。立場も考え方も違うお二人ですが、中編では、ゆうすけ先生の解説が加わることで、そこに共通点や新しい気づきが見えてきます。

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登壇者のご紹介

渡邊はるかさん(メンタルヘルスラボ代表/電通クリエーティブ&ナレッジ推進センター所属)

2年間の休職経験からメンタルヘルスに興味を持ち、通信大学で心理学を学ぶ。2021年にメンタルヘルスラボを立ち上げる。

並河進さん(電通CXクリエーティブ・センター局長)

長年ソーシャルプロジェクトやデジタルクリエーティブに取り組む。自身のメンタル不調の経験から、自身のメンタル不調体験を作品に昇華した詩展および詩集を発表。

鈴木裕介先生(内科医・心療内科医・産業医・公認心理師・キャリアコンサルタント)

2018年「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原内科saveクリニックを開業。著書に、メンタル攻略をRPGに例えた「メンタル・クエスト 心のHPが0になりそうな自分をラクにする本(大和出版)」や「我慢して生きるほど人生は長くない(アスコム)」がある。心からゲームを愛するゲーマーでもあり、おすすめの書籍やゲームを紹介する「コンテンツ処方」も行う。

 


メンタルヘルスラボとは

メンタル不調や、それに起因する働く上での制約があっても、自分らしさを活かして働けるよう、2021年4月にスタートした電通のラボです。ボトムアップ型であることと、みなさんと一緒に考える姿勢を大事にします。活動の積み重ねを通じて、会社や社会の風潮を和らげていくことを目指します。

電通ウェブサイト メンタルへルスラボ紹介ページ

 

 

取材・文: 北之坊公美
Reporting and Statement: kumikitanobo

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