ルッキズムとは?~美醜で苦しむことのない世界を目指して~
- ソリューション・プランナー
- 松實良知
私は自分の見た目がコンプレックスで、過去に美容整形をしたことがある。アゴや頬の骨を切って顔を小さくしたり、鼻の形を変えたりした。機能障害が残るリスクもあり、費用は200万円を超え、腫れが引き切るまでに6ヵ月もかかるような大手術だった。この記事を読まれている方の中には「なぜたかが見た目のために、そんなにリスクとコストを掛けるのか」と疑問に思った方もいるかもしれない。私のこの行動の背景には「ルッキズム」と呼ばれる社会問題が潜んでいる。
この記事ではそもそもルッキズムとは何なのか、そして、美醜で苦しむことのない世界を目指すには企業・メディア・生活者としてどのような視点が必要なのかなどについて述べていく。
ルッキズムとは?
ルッキズムとは「外見にもとづく偏見、差別、不当な不利益」などと定義されることが多い(※1,2)。ルッキズムは人種・性別・障害などに関する諸問題と複雑に絡み合っており、決して目鼻立ちや身長・体重等の身体的な美醜のみを扱った概念ではない。そのため端的に定義することが難しい概念でもある。
ルッキズムの例として
- ・業務内容と関係が無いのに、肥満体型が理由で採用選考から落とした
- ・「二重こそが美しく、一重は醜い」と周囲に発言した
- ・「白い肌の方が、黒い肌より美しい」と周囲に発言した
- ・服装がマジョリティに属していないという理由だけで疎外した
といったことなどが考えられる。
外見に関するすべての要素に対して網羅的に言及することは難しいので、今回は私の整形のきっかけにもなった「美醜」を軸にルッキズムを掘り下げていく。
美醜にもとづくルッキズム
美の基準は多様であるべきで、その基準を受け入れるか否かも、そしてそもそも美を追求するかどうかも、個人の自由であるべきだと私は考える。
しかし、現代日本においては未だに下記のような特定の美の基準が強く根付いている。
- ・二重
- ・(特に女性は)やせ型
- ・(特に男性は)筋肉質
- ・鼻が高い
- ・頭髪が禿げていない
- ・顔が小さい
- ・手足に毛が生えていない
これらの美の基準に関する問題として、企業やメディアらが特定の美の基準に当てはまらない人の不安や羞恥心を煽るような例もある。例えば美容やメイクに関するブランドが発信するメッセージの中には、二重や小顔を追求させたり、手足に毛が生えていることを恥ずべきことのように描いて脱毛を促したりするものもある。
このようなメッセージが社会に氾濫することで、基準に当てはまらない人が日々の生活で不安を感じたり、周囲から心無い言葉を浴びせられたり、外見と関係のない点において不当な評価を受けたりしてしまう。かく言う私も知らず知らずのうちにこれらの美の基準を刷り込まれ、時には周囲から侮辱的なことも言われ、自分の外見がコンプレックスとなって美容整形に踏み切った。
誤解の無いように記載すると、私は美容整形という行為を否定しているわけではない。周囲から侮辱や不当な評価を受けておらず、偏った美の基準を強制されておらず、自己満足のために美容整形を受けるのであれば、ルッキズムの観点では大きな問題は無いと思う。逆に、差別や偏見などが最大の動機となる美容整形は減っていくべきだと考えている。
ルッキズムのトレンド①:在宅ワークでコンプレックスが加速
私はコロナ禍中に美容整形を決心したのだが、その大きな後押しになったのはTeamsやZoom等のツールを使ったオンライン会議である。旧来の対面式会議とは異なり、オンライン会議では(カメラをオンにしている限り)常に自分の顔と参加者の顔が横並びで表示される。私はそこで自分の顔と参加者の顔を見比べてしまい「自分の顔は何て大きいのだろう」「なんてバランスが悪いのだろう」とコンプレックスがさらに強まってしまった。このような現象がグローバルに起きつつあると言われている(※3)。
ルッキズムのトレンド②:SNSの普及が引き起こす「相対的剥奪」
「相対的剥奪」とは社会学の用語で下記の状態を指す。
「生存に必須ではないが、他者が持っていて自分も欲しいと思う物を現実には持っていないという状態」(※4)
相対的剥奪は不安・ストレス・欠乏感などを引き起こし、健康リスクを高めることが多くの研究で明らかになっている。相対的剥奪という言葉は、かつてから社会学の基本的な概念として使われており新しいものではない。
しかし昨今のSNSの普及により、相対的剥奪がより起こりやすくなっていると思われる。例えば2022年12月に話題になったニュースとして、17歳の方が美容整形を求めてクリニックに来院し、その理由として「インフルエンサーとか綺麗な人はみんなやってるから」と発言したものがある(※5)。このように、SNSの普及により(本来は気にしなくて良いはずの)美醜というヒエラルキーにおいて、自分が他者より劣っていると感じてしまい、外見のコンプレックスが増大してしまうケースが散見される。
美醜で苦しむことのない世界を目指して~意識したい三つの視点~
最後に、ルッキズムを少しでも緩和するために、企業・ブランド・メディア・そして全てのオトナ達が意識すべき三つの視点を紹介する。三つ目の視点は特にルッキズムに加担しやすいため、自身が関わる企業活動や日々の発言が該当していないか意識していただきたい。(かく言う私自身も容姿を気にして整形に踏み切ったため、まだまだルッキズムにとらわれていると言える)
視点①:容姿の美には多様性があり、そもそも美を求めるか否かも個人の自由
これがある種の理想的な視座だと私は考えている。美の基準は多様で、体形・鼻の形・肌の色等に優劣はないという視点。また、美を求めたい人は求めれば良く、興味がない人は一切気にする必要がなく、美を追求しているかいないかで人間の優劣は決まらない、という視点だ。すべての人々がこういった価値観を持てれば、少なくとも美醜に関するルッキズムは起こりづらいと考えられる。
視点②:容姿の美には多様性があるが、美は誰もが追求すべきもの
昨今注目を集めるボディポジティブという概念の中には「誰もが容姿のことをポジティブに捉えるべき(ネガティブは悪だ)」「美の基準に多様性こそあれ、誰もが美に関して注意を払うべき」といった強迫的・排他的な文脈も一部だが存在している。このような考えは、美の基準を広げるプラスの側面がありつつ、容姿への執着からは逃れられていないため、手放しでは称賛できない。
視点③:容姿の美の範囲は限定的であり、美は誰もが追求すべきもの
この視点で活動する企業やブランドも見受けられる。「二重」「手足に毛が無い」などの状態を絶対的な是として描き、そこに当てはまらない人を劣位に置くようなメッセージは大いに問題がある。こういった視点のメッセージが世の中から少しでも減ることで、美醜に関するルッキズムが緩和されていくと思われる。
ルッキズムに囚われると、家族を含む周囲の人々や自分自身を貶め傷つけることに繋がってしまう。ルッキズムを解決するには、オトナ達一人一人が上記の視点を意識しながら少しずつ考えを改めて、日々の言動に反映していくしかない。この記事をきっかけに誰か一人でも意識が変わってくれたら本望だ。
参考文献
※1)西倉実季、堀田義太郎、外見に基づく差別とは何か(現代思想第49巻第13号)、青土社、2021年, p8
※2)生湯葉シホ、西倉実季、” 人を見た目で判断することって全部「差別」になるの? 社会学者 西倉実季さんと、“ルッキズム”について考える”、こここ、2023年1月27日、https://co-coco.jp/series/study/mikinishikura/、アクセス日2023年5月18日
※3)田中東子、娯楽と恥辱とルッキズム(現代思想第49巻第13号)、青土社、2021年、p113
※4)吉田彩(編集部)、近藤尚己(協力、東京大学)、日本でも進む「格差と健康」研究(別冊日経サイエンス no.236)、日経サイエンス社、2019年、p24
※5)吉原知也、”「これSNSの闇だよ」17歳少女の整形手術断った美容外科医、投稿の真意明かす”、ENCOUNT、2022年12月13日、https://encount.press/archives/393354/、アクセス日2023年5月18日
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