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18

Sep.

2020

column
16 Jun. 2020

「わかる」と「わからない」の間には、何があるんだろう。

高橋慶生
コピーライター
高橋慶生

私たちがふだん、なにげなく交わす言葉のなかにも、実は膨大な情報量が詰まっている。そのことは、たとえば外国に行き、その国の言葉がわからないとき、ふいに実感として迫ってきます。

それは「ことばのカベ」と言われたりもします。けれども、この日本のなかで、日本語をつかうひと同士でも、ことばのカベは生まれることがあります。

ことばがコミュニケーションのための道具であるならば、その使い方は、人の数だけあると言っても過言ではありません。

もし、コミュニケーションがうまくいかない状況があるとして。それは、いわゆる能力やスキルの問題ではなく、ことばという「道具の使い方」が人それぞれに違うことが原因なのかもしれません。その違いを、お互いが認識できていないだけなのかもしれません。

でも、あきらめる必要はないはずです。むしろ「わからない」ことの中にこそ、人と人がわかりあう可能性があるのだと思います。

「わかる」の語源は「分ける」だと言われます。世界のいろいろなものを、分解して、分割して、私たちは理解する範囲を広げていくのですね。

この連載でのやり方は、ちょっと違います。わからないという状況を、分けないままに、ただただ向き合ってみる。できれば、焦らずにじっくりと。そこから「わかりあう」ことのきっかけが見つかるかもしれない。言葉遊びに聞こえるでしょうか。でも、トライしてみる意義はあると思っています。

さまざまな「ことばのカベ」のそばに行き、そこに触れてみる。そっとノックして、向こう側に呼びかけ、返事を待ってみる。そこから始めてみたいと思います。

そうして少しずつ、そのカベにあたらしい「窓」をつくることができるかもしれない。そのカベは、わかりあうための「扉」にすることができるかもしれない。

これからお届けしていく記事は、どこかの誰かの、特別な話ではありません。みんなに関係のある、人と人の話です。人と人のあいだにある、小さくとも温かい、いくつかの試みです。

 

—アートディレクション: 三宅優輝—

 

取材・文: 高橋慶生
Reporting and Statement: yoshiotakahashi

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