多様性でまちを掘り起こせ ~FMわぃわぃの挑戦~
- 共同執筆
- ココカラー編集部
その日、午後イチの生放送番組は「KOBEながたスクランブル」だった。ゲストは視覚障がいのある地域の方3人と、介助者3人。網膜色素変性症についてのトークが、こんな調子で進められていた。
(ゲスト/以下G)「私、障がい者歴11年なんですけど、私の場合は進行が早くって…」
(パーソナリティ/以下P)「今、何歴って言いました? そんなのあるんですか(笑)」
障がいの世界を「文化」という言葉でくくることには賛否両論あるかもしれないが、健常者にはなかなか思いつかない視点や価値観を持っている点においては、確かに「異文化」といえるかもしれない。その面白さが、こんな会話の中にも垣間見えた。
G「私たちにとって、一番大変なのは移動なんです」
P「確かに、初めてのところは大変でしょうね」
G「点字ブロックというのは、それがどこに辿り着くのか分からないんですよね」
P「確かに。そうすると、結局は何を頼りにするんですか?」
G「そこら辺の人をつかまえて、聞きます」
P「なるほど、人間頼り!」
G「でも夜盲になりたての頃は、よく歩道で電柱ハグしちゃうよね」
P「電柱ハグ(笑)」
G「よくいますよ、電柱にハグしてる人(笑)」
「網膜色素変性症は誰にでも起こりうる病気です」と説明する出演者の皆さん
<地域に埋没する「多様性」の発掘>
FMわぃわぃは1995年1月30日、阪神淡路大震災で大きな被害が出た長田区で、震災のわずか12日後に始まった。放送免許なしでの、海賊放送だった。
「神戸にはもともと在日コリアンがたくさんいたので、大阪から仲間たちが救援に駆けつけたんです。でも避難所の名簿には日本名で書かれてあるから、誰がどこにいるのか分からない。そこで送信機を持ってきて、「ヨボセヨ(もしもし)」と発信したのが始まりです」と総合プロデューサーの金千秋さんは語る。
当時は在日コリアンの安否確認と救援、そして朝鮮民謡を通して安心感を届けるのが主な目的だった。そして難民として日本にやってきた、地域に住むベトナム人支援のための「FMユーメン(共に愛し合おう)」と合体し、「FMわぃわぃ」として正式に放送免許を取得。NPO法人が運営するコミュニティ放送局として現在に至っている。
ここは、その20年という時代の流れとともに地域の人に愛されてきたコミュニティスペースなのだ。
「今、家で聞いてたらオモロかったから飛んで来たんや」と、取材中にも近所の人がぶらりと訪れた。「オモロかった」のは、兵庫高校OBによる『ゆうかりに乾杯』という番組だった。
「昔は、外国人がようけおるって分かっていても、実際に喋るわけじゃないから実感がなかった。それが身近になった感じやな」
「領土問題でも何でも、その国の人と付き合いがなければ「けしからん」ということになるけど、今は政府と個人は別やということが理解できるわ」。
リスナーや出演者にもFMわぃわぃのポリシーが共感されていることが伝わってくる。
FMわぃわぃが「多文化・多言語」にこだわる理由はシンプルだ。「コミュニティ放送を通じて、街にはさまざまな文化背景を持った人がいることを伝えていくこと」。マスメディアからはなかなか届けられない、外国人住民や障がい者など少数者の声を直接届けること。それは地域の中で、隣近所の人の顔が見えるようにすることでもある。
地域の変化は、こんな風にも表れていると金さんは言う。
「去年、地区の防災訓練に、初めてベトナム人住民への参加呼びかけがありました。でも急きょ雨で中止になった。そのことについて、後日行われた自治会の反省会で、中止の案内は、FMわぃわぃでベトナム語で放送してもらったらよかったなぁという意見がでたそうです。地域のおじいさんやおばあさんが自ら、近所に住んでいる外国人の存在を認識し、多言語放送の意味にも気づいてくれたんですね。これだけのことに20年かかったわけですが、むっちゃ嬉しかった!」
<注目される「超ローカル」>
FM超短波放送が「コミュニティ放送」として制度化されたのは1992年で、以後、阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災など災害の度に注目され、毎年十数局がコンスタントに新規開局している(総務省ホームページより)。2014年5月現在、全国にあるコミュニティ放送局は282局。マスを対象にしたメディアとは違い、「地元情報に特化した地域活性化に役立つ放送」として、ローカル色を打ち出すことへのこだわりが鍵となっている。それは地元情報のニーズが強いからというだけでない。たとえば青森や沖縄などの方言に「癒される」と、インターネットを通じて視聴する全国のラジオファンからも人気を集めているのだ。
『成功するコミュニティFM放送局Ⅱ』(井上悟著、東洋図書出版)には、こんな記述がある。
〜コミュニティ放送局が果たすべき最大の役割はまちづくり。(中略)地域コミュニケーションを成立させ、まちを元気にするのがコミュニティ放送の使命である〜
災害時の電波確保や地域防災で活躍が期待されるコミュニティ・ラジオだが、本来の目的はあくまで地域づくりだという。町議会や区議会では何が話し合われているのか、地元の学校のPTAはどんな人たちが担っているのか等々、自分の胸に手を当ててみても、意外と知らない地元ニュースはたくさんある。それらの情報を細かく発信して地域の風通しを良くすることが、ひいては災害に強いまちづくりに繋がっていくというわけだ。
<口コミならぬ、「出会い」コミ>
だとすれば課題は明快だ。
いかにコミュニティFMの認知度を上げ、地域の人に愛される放送局にするか。そのコツをFMわぃわぃの金さんに尋ねると、「聞いてもらう人を増やすより、知ってもらうために人を呼べばいいんですよ」と軽やかな答えが返ってきた。要は商品やサービス自体の宣伝に躍起になるより、出会いや発見の場づくりを徹底することで、訪れた人が口コミで広げてくれるのが理想だという。金さんはそのことを「人間をメディアにする」と表現する。
たとえばこんな事例がある。
神戸定住外国人センターで進学支援を受けている外国籍の高校生と、街の商店街の人をゲストに招いて放送した時のこと。商店街の人は、外国籍の高校生が商店街活性化のために有用な人材になり得ることに深く納得し、彼らの教育支援に特化したチャリティコンサートを毎年開催したり、就労支援にも協力してくれるようになったという。
「進学できずに路頭に迷う若者が増えれば、街の評判は下がります。でも逆に、若者たちが自分の存在を認めてくれていると実感できれば、住みやすさにつながって将来必ず帰ってくる。地域の人材を育てることが、結局は自分たちの生活を安定させることにつながるんです」と金さんは語る。
地域の人に、ここには何か違ったものがあると感じてほしい。そのためには、できるだけ多様な人の存在と視点が集っている方がいい。FMわぃわぃは、放送をはじめイベントや取材などあらゆる手段を使って、身近にある「違いの価値」を提示し、新しいアイデアや気づきを得てもらえるような「出会いの場づくり」に奔走し続けている。
<草の根から育つ、多種多様な「芽」>
世界に目を向けると、市民メディアが盛んな国や地域はたくさんある。1986年に設立された世界コミュニティ・ラジオ放送連盟(AMARC)の加盟局は、現在150カ国、約4000に上る。中には、民族間対立が激しいコンゴで住民融和に取り組むラジオ局や、テレビも電話もないパプアニューギニアの田舎町で運営されているラジオ局、戦後復興を目指すアフガニスタンのラジオ局などもあり、目的や内容は実にバラエティ豊か(「地方のコミュニティメディアにおける非営利放送に関する研究」日比野純一著より)。また大災害時には、ネットワークを活かした臨時放送局立ち上げの国際支援も行っている。
地域の人による地域のための放送は、経済規模が限定されるため決して運営が容易ではない。さらに行政機能が充分でない地域や広告主の確保が極めて困難な地域ほど、暮らしに密着した情報が生死に関わるほど貴重になる。
日本のコミュニティFMも、行政や大手企業だけに頼らない「市民メディア」と呼べる放送局ほど、運営に四苦八苦しているようだ。
FMわぃわぃの場合は、多言語翻訳事業を行う別団体とグループ法人化し、「たかとりコミュニティセンター」の一員として共に活動することで、自由な放送と運営の安定を実現しているという。このセンターは震災時に救援活動の拠点となった 「たかとり救援基地」が前身となり、様々な地域団体によってつくられたNPO法人だ。こうした金銭面での試行錯誤もまた、より多くの住民を巻き込む推進力になっているのかもしれない。
「私たちの放送に触れた人たちが、自分の身近なところを振り返って“動く”という状況をつくっていきたいんです。「そういえばあの子もそうやな」と気づくことで新しい行動が生まれる。そんな小さな変革が、オセロみたいにパタパタと起きていったらいいなと思います」。金さんは、そんな未来を思い描いている。
地域を豊かにする営みは、こつこつと土を耕す行為に似ているような気がする。そしてその土は、多様なミネラルに富んでいればこそ多くの実りに恵まれるのではないか。取材を終えた私の頭に、そんなイメージが広がった。
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