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interview
26 Jan. 2022

終わりのない挑戦が楽しい〜パラアルペンスキー/パラ陸上競技・村岡桃佳選手〜

パラアスリートや、パラスポーツを支える人たちにインタビューし、彼らと一緒に社会を変えるヒントを探るシリーズ「パラスポーツが拓く未来~パラスポーツ連続インタビュー~」。第14回目は、パラアルペンスキーとパラ陸上競技の「二刀流」で活躍する村岡桃佳選手に聞きました。

 

パラアルペンスキー/パラ陸上競技 村岡桃佳選手

 

埼玉県深谷市出身/4歳から車いすでの生活となり、小学3年次にチェアスキーを始める。パラアルペンスキー(LW10-2)で冬季パラリンピックの2014年ソチ大会に初出場し、2018年平昌大会で金メダルをはじめ5個のメダルを獲得。東京2020パラリンピックではパラ陸上競技選手として100m(T54)6位に入賞し「二刀流」として注目される。トヨタ自動車所属。

 

 

■「二刀流」として目指した東京2020大会

 

もともとパラスポーツとの出会いは、パラ陸上競技だった

 

初めて体験したパラスポーツはパラ陸上の車いす種目で、チェアスキー(座位スキー)は年に1、2度遊びでやっていた程度でした。そのうちスキーの楽しさに惹かれていって、毎年イベントに参加して知り合いも増え、スキーに行く回数が増えていきました。

 

当時、長野県の菅平高原によく行っていて、トップ選手たちの滑りを間近で見る機会があり、すごいなあと思って興味がわき、それが競技スキーを始めるきっかけに。指導を受けて少しずつ上達するのが楽しくなり、気が付いたら競技スキーの魅力に取りつかれていました。一方で、パラアルペンスキーでパラスポーツの世界での高みを目指していくうちに、少し心残りはありながらも、パラ陸上からは、自然に離れてしまいました。

 

 

平昌大会での活躍がプレッシャーに

悩みながらパラ陸上競技への挑戦を決意

 

2018年平昌大会 パラアルペンスキー女子回転 決勝  ©フォート・キシモト

 

パラアルペンスキーでより上を目指していって、2014年のソチ大会に初出場。2018年の平昌大会では、想像以上の成績を残すことができて、次は何を目指そうかと考えた時に、ふと思い浮かんだのが、パラ陸上への再挑戦。「パラ陸上を高いレベルで本気で取り組んでみたい」という想いがわいてきていました。

 

実は、パラアルペンスキーの2018-2019シーズンでは、初めてワールドカップで総合優勝ができたのですが、すごく苦しい日々でした。平昌の5種目のメダリストだから勝って当たり前だろうとか、必要以上のプレッシャーで自分自身を追い込んでいて、毎日ベッドの中で不安で泣いていたり、スキーをすごく嫌になっていた自分がいました

 

そうしたスキーから一度離れたいという気持ちの一方で、パラ陸上にも、私が中途半端な気持ちで足を踏み入れると、本気で競技に取り組んでいる方々に対してすごく失礼になってしまうという気持ちがあって、始めるかどうかは本当に悩みました。ただ、「やっぱりパラ陸上に挑戦する。もう一回やるなら、いましかない」と思って決意して、周囲の人たちの理解も得られたので始めたという経緯です。

 

 

16-17秒のゴールの先に見えたのは、

ライトアップされた国立競技場の景色の美しさ 

 

パラ陸上で出場した東京2020大会で、私は100mの予選2組目でした。目の前で1組目の選手が走っているのを見た時、そのレベルの高さに圧倒されてしまって、競技場に立てた喜びを感じる以前に、どうしようという気持ちで一杯でした。

 

実際に予選を走った時、決勝進出にはぎりぎりの8位通過。決勝では「少しでもいいから絶対にタイムを、順位を上げてやる」、「絶対にビリでゴールしない」と、ゴールするまで本当にそのことしか考えていませんでした。

 

結果は6位。たった16、17秒という時間でしたが、私の2年半はこの16-17秒に詰まっていたので、すごくすがすがしい気持ちで、パッと見上げた国立競技場のライトアップされた景色が、とてもきれいに見えました。始めることをすごく悩んだし、辛いこと苦しいこともたくさんあったけれど、でも「やってよかった」と心の底から感じました

東京2020大会 パラ陸上競技 女子100mT54 決勝  ©フォート・キシモト

 

 

パラアルペンスキーは、自分との戦いの世界

パラ陸上競技は、横に並んで競り合う面白さ 

 

「二刀流」の私が挑んでいる、パラアルペンスキーとパラ陸上は対照的です。パラアルペンスキーは、スタートからゴールまで自分一人だけの世界。自分だけのコースがあって、滑っているのも一人だけ。他の選手がどれくらいのタイムで滑ったのかも、自分自身のタイムもわからない。では、勝つためにはどうするか。「何より自分自身に勝つしかない。絶対負けないためには攻め切るしかない」。怖いと思って少しでも減速してしまったら、それが負ける要因になってしまうかもしれないから、スタートからゴールまで、自分自身の気持ちとの戦いなんです。

 

一方、パラ陸上の場合は、スタートからゴールまで、自分と他の選手たちが横に並んで競います。特に、100m走はスタートからゴールまで一直線なので、常に選手同士が横並びになり、他の選手たちがどこにいるか、自分自身がどこにいるかわかるので、他の選手たちと競り合う感覚があります。それはスキーにはない感覚ですごく面白いです。だから、見ていても一目瞭然で楽しい部分ですね。

 

 

次の北京冬季パラリンピックでは、

東京で感じた達成感をスキーでも感じてみたい 

 

東京2020大会を機に、「二刀流」として挑戦させていただいていますが、まず東京2020大会で決勝に進出するという目標を達成してスタートを切ることができました。二刀流への挑戦のゴールは北京パラリンピックでのメダル獲得。東京2020大会でゴールした時に感じたような達成感、本当に「挑戦してよかった」と心の底から思えるような滑りができたらいいと思います。

 

「その先はどうするの?」とよく聞かれるのですが、現状では考えてないです。北京が終わった時に自分自身がどう感じるか。その時にはきっと自分が次にやりたいことが見つかってくるのかなと思うので、いまは北京のことだけを考えています。

 

 

■パラスポーツを身近に感じられる環境づくりを

 

一般社員の方々との触れ合いも広がり、

社を上げて応援してもらっている 

 

私はいま、トヨタ自動車の社員選手という形で、競技に関して全面的にサポートしていただいています。また、社内では選手たちそれぞれが異なる部署に配属されていることで、選手と一般社員の方々との結びつきが生まれて、選手を身近に感じられる環境になっています。

 

こうした配属にすることで、ちょっとしたきっかけで興味を持ってもらえる人を増やすとか、応援したい仲間を増やしたりすることに効果があって、大会があると、社員の方々が社を上げて応援ツアーを組んで来てくださったりします。他の競技の方々では、用具などを社内で開発するサポートもあります。自分が想像していた以上に、パラスポーツ普及のためのいろいろな取り組みがあって、社として本当にいろいろなところに関わっていると感じました。

 

そして、普及活動で特に印象的だったのは、トヨタイムズというオウンドメディアがあって、東京2020大会の期間中は、その中にあるトヨタイムズ放送部がYouTube配信をしていたことです。毎日いろいろなアスリートが出演するトークショーで選手や競技を紹介して、東京2020大会を社内から少しでも盛り上げていこうとして取り組みました。

このトヨタイムズ放送部の取り組みは、これからも継続して発展させていくために、バージョンアップしていまも続いています。単発で終わるのではなく、先にもつなげていくところを意識しています。

 

 

パラスポーツの見られ方・認知度は、大きく変わった

 

東京2020大会を経て、パラスポーツの見られ方、認知度はすごく変わったと感じています。ただ「車いす陸上って知ってる、ちょっと長い車いすでしょう」とか、「車いすバスケ、聞いたことある」というだけでなく、「何々選手かっこいいよね」、「あのプレーすごかったよね」というように、より競技の中に踏み込んでくれた人がすごく多かったのかなと。それは、パラスポーツのことや競技としてのすごさを知ってもらえたのだと思っています。

 

ただ、やはりこの東京2020大会一回きりで終わらせてしまうのではなく、選手たちのSNS発信はもちろん、メディアの方々にもずっと変わらない熱量で、パラスポーツを「面白いな」と追いかけて、これからも継続的に発信していただけたらと思います。

 

 

■パラスポーツとパラアスリートのこれから

 

健常者と障がい者が対等に扱われるように

パラスポーツの価値を上げたい

 

海外と日本のパラスポーツの状況を比較してみると、障がい者への意識の面でたとえば、オーストリアではアルペンスキーは国技とされています。ゆえに選手は健常者、障がい者関係なく、まったく同等の扱いをされます。健常者のトップチームとパラアルペンスキーのチームが一緒に練習したり、同じ環境でトレーニングしたりしていて、待遇もまったく一緒です。

 

東京2020大会でも、オリンピックとパラリンピックは並列で扱われていますが、まだ意識や気持ちの面で対等ではないところは残っている。健常者/障がい者という違いはあっても、同じ競技者であること、トップアスリートであることに変わりはないので、そこが少しでも「同じスポーツとして高いレベルで行っている」と認めてもらえると、パラスポーツの価値も上がっていくのではないでしょうか。

 

パラスポーツの可能性として、今回選手村にいて感じたことは、夏は冬よりも競技種目が多いだけあって選手が持つ障がいもさまざまだということ。その方々が一緒に生活している場面を見た時に、パラスポーツの奥深さというか、懐の広さを感じました。どんな障がいを抱えているかは関係なく、「選手たちが同じ土俵で対等に戦える場所」「スポーツを楽しめる場所」「より高みを目指していける場所」といったパラスポーツの可能性がすごく感じられました。

東京2020大会 パラ陸上競技 女子100mT54 決勝  ©フォート・キシモト

 

 

■最後に

 

より住みやすい社会のために、

障がい者にも選択肢のある環境を

 

最後に、スポーツから離れた話題になりますが、最近街を歩いていて、段差の解消やスロープの設置、点字ブロックや音声ガイドなど、だいぶ住みやすくなっているなと感じています。ただ、たとえば駅や施設で、障がい者がアクセスしやすいエレベーターが一箇所のみで、それが遠く離れていると、とても不便に思います。バリアフリーに対応している箇所が一つあれば大丈夫ということではなく、障がい者にも選択肢がある環境になるとすごく嬉しいです。ちょっとわがままかも知れませんが、そうなれば、より住みやすい、暮らしやすい、過ごしやすいなと思います。

 

 

―――――――

平昌パラリンピックでの活躍によって、その後のシーズンで思わぬプレッシャーと戦うことになった村岡選手。そこから悩みに悩んでパラ陸上競技に挑戦し、東京2020大会でゴールした後のすがすがしさと見えた景色の美しさは、「スポーツの持つ素晴らしさ」としてインタビューからも瑞々しく伝わって来ました。

 

「二刀流」を体験して感じられたことは、パラスポーツやパラリンピックを目指す人たち、支える人たちに対して、さまざまな気づきと勇気をもたらせてくれると思われます。これからも村岡選手がどんな舞台で活躍してくれるのか、ますます楽しみです。

 

 

 

《参考情報》

・村岡桃佳選手 SNS

Twitter:https://twitter.com/_momoka03_?s=21

Instagram:https://instagram.com/_momoka03_?utm_medium=copy_link

 

 

取材・執筆:桑原寿、吉永惠一、斉藤浩一

編集:鈴木陽子

取材・文: cococolor編集部
Reporting and Statement: cococolor

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