「観光」の現場で起こるイノベーションとその可能性
- 共同執筆
- ココカラー編集部
ヘッドマウントディスプレイを掛けると、かつての飛鳥京水落遺跡が目の前に現れる。(ヘッドマウントディスプレイには後ろにあるモニターと同じ映像が映し出されている。)
街に出れば外国人観光客を見かけたり、ときには声をかけられたりする、そんな光景は今や当たり前になりつつある。法務省によると、日本を訪れた観光客はこの10年間で約1.5倍にまで増え、2012年には年間830万人にも上ったという。安倍首相が日本の成長戦略の一つの柱として観光業を推進していることからも、今後はますます多くの外国人が日本の地を訪れるようになるだろう。
たくさんの外国人が日本に興味を持ち、遠い海の向こうからわざわざ足を運んでくれる。それは日本に住むわれわれにとって、実に嬉しく有難いことである。ところで、実際に日本にやって来た外国人観光客にとっては、日本は一体どのようにみえているだろうか。観光という言葉は元来、「国の光(=文化)を観る」という意味だったというが、果たしてわれわれは、言葉も文化的背景も大きく異なる彼らに対して、日本という国の「光」をきちんと伝え魅せることができているのだろうか。言語、文化の壁を超えたコミュニケーションが極めて重要となる「観光」には、ダイバーシティな社会の実現に欠かすことのできない要素がたくさん詰まっているはずだ。
今回はそんな「観光」の現場にイノベーションを起こさんとする、とある企業の取り組みを紹介したい。Mixed Reality技術(以降MR技術)を使った観光コンテンツ開発に取り組む、東京大学発のベンチャー企業「アスカラボ」の角田氏にお話を伺った。
東京大学発のベンチャー企業ということですが、具体的にどのような活動をされているのですか?
奈良県明日香村にある飛鳥京跡をはじめとした、世界各国の遺跡や建造物をMR技術を使って復元する取り組みを行っています。MR技術とは、コンピュータを用いて仮想世界と現実世界を融合させる技術です。ヘッドマウントディスプレイ(以下HMD)を通してCGを今の風景に合成表示することで、まるで仮想物体が現実世界に出現したかのように表現することができます。「今と昔、現実と仮想世界のミックス」を作り出すのです。
現在は奈良県の明日香村の観光事業に深く関わっていて、私たちが開発したシステムを使って飛鳥京の歴史を体験してもらうイベントなども行っています。最近は明日香村以外の自治体様からも遺跡復元の依頼が増えてきています。
株式会社アスカラボ代表取締役の角田哲也氏
遺跡のCG復元という取り組みは、海外でも盛んに行われているのですか?
もちろん海外にもたくさんの遺跡や文化財がありますが、西洋の場合、石造建築が多く、何百年経っても昔とほとんど変わらない姿で現存しています。一方、日本の場合は木造建築が多く、考古学などの研究でそこに遺跡があったことが明らかになったけれどその形跡はほとんど残っていない、ということが多々あります。そういう背景もあって、日本と海外では文化財に対する考え方が少し違っています。私たちの行っている『文化財のバーチャル復元』という取り組みも、そんな日本だからこそ生まれた取り組みであるとも言えますね。
そもそもの文化財の捉え方が違うのですね。本来は見ることのできないものをリアルに体験できるというのはMRの大きな特徴ですね。
そうですね。MRの最大の魅力はまさに『今はそこにないものを、その場の雰囲気とともにありありと体感できること』にあると思っています。MR技術を使えば、例えば、飛鳥京のような現存しない過去の建造物を出現させることができますが、逆に、これから建設予定の未来の建造物も出現させることもできます。実際、東京大学と開発に取り組んだ2016年の東京オリンピック招致プロジェクトでは、MRシステムを使って競技場完成イメージを実際の風景に合成した映像を、海外からいらした評価委員会の方々に体験していただきました。
オリンピック招致でもMRが活躍していたとは驚きです。過去も未来も見せられるなんて、なんだかタイムワープ装置のようですね。学生の時にこれを体験していたら、私ももっと歴史を好きになれていたのかも知れません(笑)。
やはり興味を持つ過程で「リアリティの伴う体験」はとても重要ですよね。文章や写真から史実を学び知ることはもちろん大切なことですが、実際のところ、そういった平面的な情報だけではあまりピンとこなくて興味が持てない方もいるのではないでしょうか。MR技術による遺跡の復元や歴史的事件の再現は、歴史学習にリアリティをもたらし、歴史に興味・関心をもつきっかけになると考えています。
また、観光という面においても「リアリティのある体験」は忘れがたいものになるでしょう。先ほどお話ししたように、日本には「歴史はあるが形がのこっていない」遺跡が多く、文章や写真だけではなかなか伝えきれない部分もあります。ましてやそれを伝える相手が日本文化に馴染みのない外国人観光客ともなると、伝え方にはかなりの技量や工夫が要求されるのではないでしょうか。そういった場面でこそMR技術が活躍すると思います。眼鏡をかけるようにHMDを装着するだけで、ノンバーバルな視覚的体験によって直感的な理解を促すことが可能となります。また、遺跡が現存している場合であっても、長い年月によって部分的な欠損や崩落があったり、色彩が褪せてしまったりするものも多くあります。そういった場面でも、MR技術を活用すれば当時の姿を再現することが可能になります。 将来的な話にはなりますが、もし使用者の言語や習熟度、あるいは興味の度合いに合わせて映し出す映像を切り替えられるようになれば、国籍だけでなく、年齢や知識量といった制限にもとらわれることなくみんなが楽しめる観光というものも実現できますね。
年齢や国籍、知識の壁を越えてみんなが楽しめる観光、まさにダイバーシティな観光といえますね。
そうですね。今美術館や博物館で普及している音声ガイドのように、今後HMDによる体感型ガイドが一般に浸透すれば、観光というものの可能性は無限に広がり、そのあり方も大きく変わってくるでしょうね。
現在観光コンテンツを開発している中で気を付けていることはありますか?
とにかく誰にでもわかりやすいインターフェイスになるように心がけています。観光となると、修学旅行の学生や年配の旅行客、さらには外国人観光客、というように年齢、言語ともに非常に幅広い方々が対象となります。現在はHMDだけでなくスマートフォンやタブレッドなど様々なデバイスでサービスを提供していますが、そのようなデジタルデバイスの扱いに慣れていない方でも簡単に使えるような人にやさしいインターフェイスになるよう研究開発を続けています。
HMDを装着してMR遺跡観光を楽しむ人々(青森県、三内丸山遺跡にて)
ユニバーサルデザインの視点からも開発に取り組まれているということですね。最後に、将来の展望などあればお聞かせください。
現在私たちが観光事業で深く関わっている明日香村は、全域が古都保存法対象地域である日本で唯一の自治体です。京都や奈良に比べて歴史も古く、遺跡の多くが現存していなかったり、地中に埋没していたりします。重要な遺構の多くは考古学的な見地から発掘後に埋め戻され、開発規制のために地上にレプリカや展示施設を建造することもできません。そこで、遺構そのものは保存したまま、バーチャルな展示を実現できるMR技術は、大きな可能性があるのではないかと考えています。私たちの活動を通して、地域全体の遺跡をMR技術で復元する『MR観光都市』として、明日香村を世界一、世界最先端のモデルケースにできたらいいですね。
また、明日香村以外にも、日本には城跡や古戦場など歴史的に重要な遺跡、あるいは近代の産業遺産などが数多く存在します。しかしその多くは費用や時代考証の面から復元が難しく、人知れず地下に埋もれていたり、立ち入りが制限されていたりします。私たちは、最新のIT技術でこれらの文化財の魅力を再発掘し、地域固有の歴史的エピソードをアピールすることで、若い人たちや海外からの観光客も誘致して、地域社会の発展に貢献したいと考えています。
普段とは異なる環境に身を置きながら、その地に根付く文化やそこに暮らす人々との触れあいを体感する「観光」というものは、自他の違いを認め、尊重し合うダイバーシティな視点を養う好例と言えるだろう。今回紹介したような「観光」の現場におけるイノベーションは、ダイバーシティという考え方がより自然な形で人々の心に芽生え、育まれて、社会全体がダイバーシティを受け容れる方向へとシフトしていくための原動力となるに違いない。
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株式会社アスカラボ
Mixed Realityシステムの開発を行う東京大学発ベンチャー企業。東京大学池内・大石研究室において研究開発された基礎技術を活用し、奈良県明日香村の遺跡復元を目指す「バーチャル飛鳥京」、2016年東京オリンピック招致に向けたMRデモなど、様々なプロジェクトに取り組む。
http://asukalab.co.jp/
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