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7 Jun. 2019

創業86年老舗メーカーが生んだインクルーシブなはさみ「Casta」

阿佐見綾香
戦略プランナー
阿佐見綾香

創業86年老舗メーカーが生んだインクルーシブなはさみ「Casta」

切るたびに音が響くはさみ、Casta。「ころっとした丸い形がかわいい」という理由で、女子小中学生の間で人気のある商品です。実はこのはさみ、「握力の弱い人」のために作られたもの。手が不自由な方だけではなくお年寄りや小さい子供、発達障害の方々など多様な方々が使用できるインクルーシブなはさみ(※)なのです。ただ可愛いだけのはさみではないということに驚きを感じた私たちは、どうしてこのようなプロダクトが誕生したのかを知りたいと思いました。今回はcococolor学生ライターの中島彩乃と西川慶子が、「Casta」を製造する長谷川刃物の販売グループマネージャー・太田篤史さんにお話を伺いました。

握力3kgの人の視点を取り入れてインクルーシブなデザインを実現

「はさみは、開くのが難しい。」
これは、取材の中で私たちが一番衝撃を受けた言葉。

普段、私たちははさみを使うときに、当たり前のように刃の開閉をくり返して、物を切っています。しかし、握力の弱い人、力の弱い老人や子供にとっては、はさみは閉じるのは簡単で、「開く」という動作が一番難しいのだそうです。

そのことを長谷川刃物の代表が発見したのは、ある養護施設に足を運んだ日のこと。その養護施設では、握力が3kgしかない方が作業をしていました。その方は、はさみを自分の力で持ち上げることができないので、口ではさみを使っていたのでした。「長谷川刃物のはさみはすごく切りやすいけど、自分は力がないから切りづらい」という、この握力3kgの方との出会いが、Castaを開発するきっかけとなっていくのです。

「はさみに物を切るという切れ味の技術に加えて、もう一つ機能を追加することができないだろうか。」

そう考えた長谷川刃物はプラスチックのばねを開閉のサポートとして取り入れて、「開くサポート」の備わったはさみを開発することを決めました。

完成までには、使用者からのフィードバックを取り入れながら、たくさんの改善・工夫を加え、何段階も試作が重ねられました。

こちらが一番初期のモデル。はさみに削った木をさして、開くときの力が楽になるようにスプリングのばねを入れたものから始まりました。

しかし、ハンドルを丸くすると、切った対象物である紙が手にぶつかってしまうという壁にぶつかります。はさみを使って紙をまっすぐに切っていくとき、紙は2つに分かれていきます。それが手に当たってしまうと、使いにくくなってしまうのです。

そこで次に考案されたのが、人が歩いているような形のL字型のモデル。L字型にすることでハンドルが上になります。この形ならば、切った対象物の紙が手がぶつからないよう紙を逃がせるのではないかと考えました。この形ならば、机に置いたまま使えないだろうかとも考えていた時のモデルです。

開発を進めていくうちに、最終的にはこのカバーモデルがベストだという結論に至りました。

このようにカバーがついていれば、左側の刃のカバーが切った対象物を上に押し上げ、右側の刃のカバーが切った対象物を下に押し下げます。切った紙が手に当たらないはさみが実現するのです。

L字型のはさみを「平面に置いて使う」のように特殊な使い方をしなくても、使い方を変えずに普通に切ることができる。使いやすいはさみが実現しました。

試作を重ねたカバーです。

カバーモデルと、L字型モデル。両方を作って検証を重ねました。

最終的に採用した完成モデルです。

通常、新しい商品を市場に送り出すときには、市場動向などから商品を企画して開発を進めていきます。長谷川刃物では、ただ市場動向を調査するだけではなく、お客様や地元の人からの要望や、人との出会いを通じて、商品企画を立ち上げます。それは、お手紙などでお客様の声が寄せられる地元に根付いた企業だからこそできることかもしれません。

プロダクトデザインはユニバーサルデザインを得意とするトライポッドデザイン株式会社が行い製造していくというインクルーシブなプロセスが、商品開発過程に組み込まれていました。

丸い形で握りやすいCastaは、握力がない方だけではなくリウマチの方や関節炎や腱鞘炎の方、指にけがをされている方など、どのような方にとっても使いやすいものとして生まれました。Castaというネーミングもみんなになじみのある「カスタネット」から来ている柔らかい表現を採用することによって、親しみやすいはさみにしたいという想いがありました。

Castaは1人の人を起点にしながらもターゲットは絞られずに、逆にターゲットを広げて「みんなが使える」を可能にしたはさみなのです。

刃物業界にインクルーシブな風を吹き込む

長谷川刃物株式会社は、岐阜県関市に本社を構える会社。関市の歴史をたどると、室町時代から日本刀の製造を開始しており、刃物の製造で有名な街として知られています。現在も国内で流通している刃物の7割が関市で作られています。

時代が進む中で、刃物の中でもはさみや包丁、ナイフやカミソリなど、メーカーごとに得意分野が分かれていきます。その中で、長谷川刃物は1933年にはさみ加工会社として誕生しました。

はさみには工作用や調理用など、様々なジャンルがあります。より多くの人に使えるものを追求していく中で、インクルーシブなデザインのはさみを作っていくという道を発見したのです。

「HARAC=『刃』+『楽』」

インクルーシブなデザインの考え方を取り入れて「刃物を楽しく楽に使える」というコンセプトのもと、面白い世の中にしたいという思いを込めて世に送り出されたのがCastaを含んだHARACシリーズ。はさみの機能性と使いやすさを追求するCANARYブランドとは別に新設されました。

老舗のメーカーの中には、「新しい物を受け入れにくい」という会社もあります。老舗刃物メーカーである長谷川刃物は、なぜこのような斬新な商品開発ができるのでしょうか。

取材を受けてくださった太田さんはこの質問に「温故知新、古いものを知っているから新しいものを創造できるのです。」と教えてくれました。

「温故知新」、「破壊なくして創造なし」の考えを軸に、今ある「使いづらいもの」を今までにない「使いやすいもの」に、伝統を崩さず進化させる長谷川刃物。現状に満足せずに新たな視点を導入しつづけており、刃物業界に新しい風を吹き込んでいく存在であることが分かりました。

HARACシリーズの1つであるNail+は、かわいい色を実現するため日本を飛び出しイタリアまでカラーサンプルを探しに行ったそう。そんなNail+は、半年前に東京パラリンピックの実行委員・サポート委員の方や芸能人や関係者の方約500人に向けて配るノベルティに選出されました。世界の注目を集める祭典に名を残し、地域の方だけではなく全国に日本の刃物の魅力を幅広く伝えられています。

みんなが使いやすくて、みんなが使いたくなるデザイン。商品開発のプロセスに組み込まれた多様な視点。老舗メーカーの新しいはさみには、インクルーシブなデザインを実現するためのヒントがたくさん詰まっていました。

文・cococolor学生ライター 西川慶子(左)/中島彩乃(右)
編集・cococolor編集部 阿佐見綾香

 

(※)「インクルーシブ(Inclusive)」とは
直訳すると「全てを含んだ」「包括的な」という意味。最近では「インクルーシブ・デザイン」や「インクルーシブ教育」、「インクルーシブ・マーケティング」などといった言葉で目にしたこともある人もいるのではないでしょうか。
「インクルーシブなもの」とは、開発などの「プロセス」に多様な人が巻き込まれており、あらゆる多様な人にとってニッチなものでも中途半端なものでもない真に価値のあるものであり、受け入れやすいデザインであり、多様化が進む時代に合った商品やサービスを指しています。

取材・文: 阿佐見綾香
Reporting and Statement: ayacandy-asamiayaka

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