連載『ダイバーシティと映画』 多様性課題の中のフェミニズムについて vol.3
- コミュニケーション・プランナー
- 國富友希愛
連載『ダイバーシティと映画』
年間100~200本程度の映画を鑑賞・分析している國富が、全3回に渡ってお届けする連載『ダイバーシティと映画』です。第3回の本記事では、SEXやルッキズムの課題に焦点をあてた映画についてお送りします。
■『RBG 最強の85歳』
■『おしえてDr.ルース』
日本には、母体保護法という法律によって、女性の置かれている状況等によっては妊娠した子どもを産むか産まないか判断する権利があります。一方、アメリカでは州によって中絶を禁じたり、中絶手術を行った医師には最長で99年の禁固刑を科すという人口妊娠中絶を禁止する法律があります。その際、女性がレイプの被害者であっても例外は認められません。性暴力が後を絶たないのに、自身の身体のことを決める権利さえ与えられない女性たちが直面するこの重大な課題が取り上げられている2本のドキュメンタリーをご紹介します。
『RBG最強の85歳』
(あらすじ)RBGとは、アメリカ合衆国で女性として史上2人目の最高裁判事であるルース・ベイダー・ギンズバーグのニックネーム。彼女の歴史的な活躍と半生が、さまざまなステークホルダーから語られる。
http://www.finefilms.co.jp/rbg/
RBGは弁護士時代から一貫して女性やマイノリティの権利発展に努め、男子大学の女性排除、男女の賃金差別、投票法の撤廃、そして「中絶禁止法の撤廃」などに、法の下の人の平等の実現に向けて果敢に切り込み、アメリカでは若者を中心に絶大な支持を得てきました。彼女のスゴイところは、女性を擁護するだけでなく、女性しか持っていなかった権利(例:介護での助成金申請)を男性にも与えるようフェアに訴えてきたことです。彼女のような人物が、ジェンダー不平等社会にメスをいれ、多くの反発と闘いながら主張をしてきたことで、今の私たちの生活がある、ということを痛感させられます。
『おしえてDr.ルース』
(あらすじ)レディガガやテイラースウィフトなどのセレブ著名人のように、人工中絶禁止法にNOを訴える一人に、91歳の現役セックスセラピストであるDrルースこと、ルースウエストハイマーがいる。セックスセラピストとして、タレントとして、アメリカで人気を博してきたDrルース。彼女は、子どもの頃にホロコーストで家族を失い、終戦後パレスチナでスナイパーとして活動、女性が“学ぶ”ことが難しかった時代に大学で心理学を専攻。アメリカに渡り、シングルマザーとして娘を育てた。激動を生き抜き現在も多岐にわたり活躍している彼女から教わることは多い。
セックスについて語ることがタブー視されやすい日本人にとって、Drルースが自分らしく、140cmと小柄ながら堂々と明るくセックスについて語る様子は、まぶしく映ります。性とは面白くて素晴らしい。誰もが、いつだってありのままで、恋し、戦い、働き、生きている。それだけで今日に価値があるのだと、勇気をもらうことができます。
■『キャプテン・マーベル』
■『ハーレイ・クイン 華麗なる覚醒 BIRDS OF PRAY』
■『チャーリーズエンジェル』
子どもの頃に観た、戦う女性が主人公の創作を思い返すと、セーラームーンは戦う前に必ず一回裸になり、身体のラインを見せてからコスチュームに着替えたり、○○レンジャーのピンクレンジャーは内股で構えがちで、ミニスカートのようなレギンスのような他の色のレンジャーと違う妙な服を着せられていたりします。峰不二子は、バスト99.9、ウエスト55.5、ヒップ88.8でなければ、峰不二子ではありません。つまり、かわいげやセクシーさ、性的さ、をチャームポイントにしなければ、女性は戦いのフィールドにあげてもらえないという洗脳を子どものころからされていて、感覚が麻痺している部分がありました。それを打ち破ってくれるのが、最近のヒーロー映画です。
『キャプテン・マーベル』
(あらすじ)MCUの女性ヒーロー映画。アベンジャーズが誕生する遥か前の1995年を舞台に、キャプテン・マーベルの誕生秘話が描かれる。
『ハーレイ・クイン 華麗なる覚醒 BIRDS OF PLAY』
(あらすじ)DCシリーズのジョーカーの恋人であったハーレイ・クインが、ジョーカーと別れ、その悲しみを吹っ切るように暴れまくる。謎のダイヤを盗んだ少女を守るために、予測不能なバトルに挑むヒーローアクション。
『チャーリーズ・エンジェル』
(あらすじ)エリート女性探偵社のスパイとして、犯罪組織に潜入する3人の女性の物語。2000年代の『チャーリーズ・エンジェル』のリブート。
https://www.charlies-angels.jp/
キャプテン・マーベルは特に衝撃的な作品でした。かわいくない。むしろ不愛想。歯を食いしばって戦う表情は歪んでいました。性を売りにせずに、ただの戦う生身の女性(人間)主人公として登場しました。戦う時、何かを守る時に、女性ヒーローだからといって、綺麗である必要はない。妖艶でなくていい。「何度でも立ち上がり、困っている人がいたらどんなときでも助ける」というヒーロー像に、性的なものはそもそも必要ない。女性であってもそのままでいい。誰だって同じヒーローである。さあ、そういう時代が来たよ。という製作者のメッセージを強く感じました。
その後公開された『チャーリーズ・エンジェル』のリブート版や、『ハーレイ・クイン華麗なる覚醒 BIRDS OF PRAY』などの女性ヒーローものでも、以前のような、胸がぱっくりあいた服を着て脚をだしている女性ヒーローは消え、むしろ普通の服を着ていて、仮に露出があっても着せられている感じがせず、さらに主人公がクイアであったりと多様で、演出も過剰に性的にいやらしくされることがなくなり、キャプテン・マーベル以降、女性ヒーローの描かれ方が一変したと感じました。
「ブス」「カワイイ」「モテ」「スタイル」などの押し付けられるようなルッキズムを毎日ネットやテレビで当たり前のものとして目にします。そういった価値観の押しつけに自己肯定感をはぎ取られる必要はないと、多様性が尊重されるヒーローたちの姿から感じとれます。
近年のMCUやDC作品(1日目に言及した『JOKER』もそうです)には、マイノリティが、ヒーローとして含められていますが、そういった映画から、私たちがあらゆる視点での弱者と強者が存在する多様な社会に住んでいること、調和をとり、お互いに敬意をもって生きる必要があること。そうでなければ滅ぶことをファンタジーやSFで再認識させてくれます。人は孤独だとしても、賢明に生きることができる、と奮い立たせてくれるのです。
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