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27 Oct. 2020
味・ボリューム・見た目も大満足なヴィーガンメニュー。最近は東京のカフェでも増えてきた。

『ヴィーガンをやめて3年、今はフレキシタリアン』 ~多様な食との向き合い方~

「なんでヴィーガン?」
「なんでお肉を食べないの? 」

2016年にオーストラリアで、2020 年に日本で私(筆者)が数えきれないほど受けてきた質問である。
これらは単純な疑問文ではない。
興味、懐疑、否定、尊重・・・
国と時期、そして人によって、その質問の真意には実に様々なものが込められていた。
今回は、私が体験した食選択の変遷から、これからの食との関係を考えてみたい。

 

-ヴィーガンとの出会い –
私は 2016 年に オーストラリアへ留学し、現地のラクロスチームに所属していた。
当時、チームメイトの Amy が挙式とハネムーンから 3 か月ぶりに練習へ復帰した際、彼女の全く落ちていない体力に驚愕した 。
その後、彼女がヴィーガン*であることを知り、一気にヴィーガンというものに興味を持った。
多民族国家として、レストランやカフェ、スーパーでもヴィーガンオプションが豊富なオーストラリア。
その環境を活用して、ヴィーガン生活に挑戦してみようと決意した。
*ヴィーガンとは、健康・環境保全・動物福祉など動機や実践方法は人それぞれだが、一般的に卵・乳製品を含む動物性食品を一切口にしない完全菜食主義者のことである。

-オーストラリアでのヴィーガン実践 –
私が突然ヴィーガンになったことに対して、現地の友達やチームメイトは自然に受け入れてくれた。
批判的な反応を示す人はおらず、むしろ「なんで ヴィーガンになろうと思ったのか」という背景や私の考えに関心を持つ人が多かった。
ヴィーガン生活を始めた当初は便秘なども経験したが、段々慣れていく中で体調的な影響は減っていき、外食や交流の機会 でも不自由なく生活できた。

– 日本でのヴィーガン生活と課題 –
2016年の末に帰国後、私は久しぶりの日本食に感動する間もなく、日本 でヴィーガンを続けていくことの難しさに直面した。
当時はスーパーや外食でのヴィーガンオプションは少ないかつ高価格で経済的負担が多かった。
さらに、ヴィーガン対応有無について WEB 上の情報が限られており、お店に直接確認する必要があった。
加えて、一緒に食べる相手にも同様の制限がかかることへの申し訳なさが回を重ねるごとに募っていった。
特に1番ストレスだったのは、周りからの「ヴィーガンってなに?」「なんでヴィーガンをしているの?」という疑問への根気のいる受け答えと、その後の冷ややかな反応である。
ヴィーガンへの認知度がまだそこまで高くなかったこともあり、1から概要と背景を説明する必要があったのだが、その説明努力に対する反応は簡素的または懐疑的なものが多かった。
そうして、私は段々とヴィーガンの実践を諦めていった。
お店や同伴者への断りを諦め、頼む料理を諦め、周りに説明することを諦め・・・
最初はヴィーガンをやめることに心苦しさを感じていたが、次第に色んな制限からの解放で気持ちが楽になっていった。

– 再・食との向き合い –
そんな私は2020年、基本は植物性食品を中心に食べるが、場合によっては肉・魚も食べるフレキシタリアンになった。
以前よりも日本でのヴィーガン実践のハードルが低くなっていることに加え、今回の変革の動機はコロナ禍で見つめ直した衣食住の在り方と環境への意識が大きい。
変わり果てた気候を目の当たりにして、普段の自分の消費行動と、それを支える地球という存在を見直そうと考えた。

– 持続的なスタイルへ –
今回は食習慣に留まらず、長期間持続させる生き方としてのスタイルにしたいという想いから、制限の多いヴィーガンではなく、まずフレキシタリアンから再開することに決めた。
今後、自分や社会における意識や環境の変化に合わせ、スタイルも柔軟に、自由に変えていく前提で。
実際の行動としては、消費に関連する生産―運搬―販売―廃棄の過程で、そこに関わる人・地域・社会・環境にとって“よりやさしい選択”を心がけている。
その1歩として、食ではメタンガスの排出が多く、また森林伐採・火災の主要因と言われている畜産よりも、植物性の食品を選ぶ。
他にも、動物実験をしていない化粧品や地産地消あるいは有機の食材を購入するなど、出来ることから選択肢を替えている。
1人の1回の消費行動と見ると影響は小さいが、その選択肢提供のために貢献している土地や生産者を支持することで、ゆくゆく周りの人や企業の意識と行動も変えていけるかもしれないと信じて、継続していきたい。

– 多様な考え方と選択肢 –
これまで、私自身のオーストラリアと日本、2016年と2020年での、食に対する考え方の変化を紹介してきた。
これらはあくまで私にとっての心地よい考え方と実践方法であり、人によって意志や実践方法は違っていい。
ただ今後はあらゆる課題についても、個人や国を超え、“みんなが問われている”という感覚が増えていくのではないかとおもう。
例えば、今までは“環境危機”と聞くとあまりに壮大なものとして見ていたものが、コロナで自分の普段の生活に直接影響が出る体験を通じて、その課題がいきなり身近で重大なものになったように。
これを機に、生活・社会・環境と切り離せない食、そして消費について、
一人一人が多様な考え方と選択肢を持ち、それらが尊重される社会になっていくことを願う。

 

執筆者 稲野辺 海(Kai Inanobe)

取材・文: cococolor編集部
Reporting and Statement: cococolor

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