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21

Nov.

2019

event
17 Oct. 2019

性にあたりまえなんてないよ ー クィアな視点と1人1人の新しい生き方

岡部友介
プランナー
岡部友介

「クィア」を切り口に「性」をテーマにした映像作品を上映する関西クィア映画祭。

“あなたはどんな性別で暮らしていますか?
どんな恋愛やセックス、人との関わり方をしていますか?
「男らしさ」や「女らしさ」が期待されることに、しんどくなった経験はありませんか?
もう既に「男女という制度」の枠組みから出て、自分らしい性を生きている人たちが、沢山います。
典型的であってもなくてもいい。変(=クィア/queer)*でもいい。
性のあり方は多様だ。私たちは生きていける!” 
(関西クィア映画祭Webサイト:https://kansai-qff.org/2019/mission.html

今年で13回目となる関西クィア映画祭を通して、「性と生」に新しい角度から向き合う実行委員会のひびのまことさんと西木久実さんにお話を伺いました。

*クィア/queer
クィアはセクシュアルマイノリティの総称でもあるが、そのニュアンスや意味合いは、一言で説明するのが難しく、やや複雑な言葉である。もともとは「奇妙な」「変わり者、変態」等の意味を持ち、蔑称として使われていた歴史を持つ。それを戦略的に逆手にとって、解放運動の中でアイデンティティを表す言葉として用いられるようにもなった。
(cococolor ダイバーシティワード: https://cococolor.jp/diversityword/queer/)

 

■「クィア」という言葉に込めた想い

– 全国に多様なセクシュアルマイノリティに関連するイベントが開催されていますが、関西クィア映画祭は今年で13回目となります。なぜLGBTでもセクシュアルマイノリティでもなく、「クィア」なのか。この名前には、関係者の強い想いがありました。

ひびの:私たちは、ダイバーシティやインクルーシブという考え方とはちょっと違う方向でセクシュアルマイノリティの問題を社会に訴えていこうとしています。生活の中で実際に起きていることを、ちゃんと言葉にして、一人一人が生きやすい社会を作りたいと考えています。

一度うちのパンフレットやウェブサイトを見て欲しいのですが、「SOGI」や「LGBT」は使われていません。インクルージョンもダイバーシティも使っていません。それらの言葉を一切使わずとも「全部できる」と私たちは考えています。

確かに、LGBTという言葉を用いたアプローチは、社会に対して強くて分かりやすいメッセージを表明することができると思います。ですが、LGBTという言葉でも切り捨てられる人がいることにもっと目を向けてほしいと思うのです。

「LGBT」だって、もともと「LG」から始まりました。「バイセクシュアルやトランスジェンダーを無視している」と批判があったため、トランスジェンダーを含んだ今の「LGBT」という呼び方が生まれました。そして今は「LGBTQ」とか「LGBTA」とか、さらに色々な言葉が生まれています。でも、こういうことを繰り返しても意味がないと思いませんか。

だからこそ、私たちは意思をもって「クィア」という言葉を使っています。LGBTにとどまらず、様々な性や生を肯定したいという意思を込めた、「クィア」なんです。

クィアというものは、考え方の一つだと捉えています。クィアな生き方、クィアな人、クィアな考え方、クィアな映画とか、クィアななんちゃらとか、そういう感じで形容詞として使うのが、割としっくりくると私たちは思うんです。

 

編集部注釈(※)クィアは今では多くのLGBTQ+の人が使うようになってきていますが、蔑称として使われてきた歴史があるため、使用することを不快に感じる人もいます。

 

■「性同一性障害」という言葉はなぜ生まれたのか

ひびの:「性同一性障害」という言葉があります。この言葉がなぜ生まれたのかについて話したいと思います。

かつて医者が「性別適合手術」をすると、違法になってしまう時代がありました。だから病気だということにして、診断基準を作って、手術を合法的にできるようにしたのです。そのために作られたのが「性同一性障害」という用語。いわば、自分の質の高い生活を実現させるための「ツール」のような用語だと私は捉えています。

もちろん、当人が生きやすくなるために使えるものなので、いくらでも活用されていけば良いと思います。でも、性同一性障害という医者からの診断書がないと、制服は好きな方を着られない、スカートを履かなければならないということには違和感を感じるのです。

だって、そもそも、「制服をやめればいいじゃん」という話をなぜしないんだろうと私は思うのです。「スカート履くのが嫌やねん」とか、問題になっているところは、本来ならば個人の自由じゃないですか。

たった1つのそれを実現するためにすごい壁が大きいものだから、仕方なく「性同一性障害」というツールを使わなくてはならないだなんて、ある意味ネタみたいだと思ったりします。

 

編集部注釈(※) 「性同一障害」の呼び方を「性別不合」と変更することが2019年5月26日にWHOで決定。これにより、体の性と心の性が一致しない状態が「精神障害」の分類から外れた。つまり、「病気」や「障害」と捉えることをやめ、多様な性のあり方を尊重しようとする動きがちゃんと形になりつつある流れ。

 

■「あなたが自分の性に気づいたのは?」という質問への違和感

ひびの:セクシュアルマイノリティを特集した雑誌などでよくある質問で、「FTMと気づいたのは?」「レズビアンと気づいたのは?」などがありますね。

でも、ヘテロセクシュアルの人に対しては、「あなたが男だと気づいたのは?」「女だと気づいたのは?」なんて質問はしないと思いませんか。他にも「カミングアウトしてますか?」みたいな質問もしないはずです。

こういう質問が大事な側面も、確かにあるかもしれないとは思うのです。自分も励まされた経験があるし、元気になる人がいるってことも分かるからです。

でも私たちは、そんな話をいちいちしたい訳ではないんです。例えば「昨日食べた寿司はうまかったね。絶品だったね。」みたいな、そういう普通の話を普通にして生活しているし、そうしていきたいんです。だから「あなたが自分の性に気づいたのは?」みたいな質問に答えるのはサービスです。

少しでも世の中の役に立つようにサービスをしているんです。でもそれは世の中を良くするためのアプローチの1つにすぎないとも思います。そして、分かりやすいやり方である一方で、身を削る想いをしている人がいることも知ってほしいなと思います。

 

■上映作品の選び方

– 映画祭にはセクシュアルマイノリティに関連する多くの映画が流れますが、どのように映画を選択しているのでしょうか?

ひびの:映画の制作者サイドが、自分自身の持っている「特権」に自覚的であるかどうかというのが、上映作品を選ぶ上での重要な判断軸の一つになります。

特権というのは「自分が他の人と比べて有利に立っている権力」や、「自分の他の人を無視したり搾取や抑圧したりしている側面」のことです。

何かを表現するときに「自分がこう思ったからこうだ」という、若者らしい自分語りみたいな表現も、やりたいようにやればいいと思うんです。

でも映画製作者自身が、表現する主体である「自分」と、「社会」との関係をちゃんと見られているかどうかは、映画の表現にも現れてきます。それは映画を観る側には、はっきりと分かると思います。自分は特権を持っているのに、それに気が付きもしないで、映像を作っているような作品は受け入れられません。

製作者が自分が持っている権力に自覚がないということは、「自分でも知らないうちに人を傷つける可能性」が高くなるということだと思うのです。例えば、何気ない「彼氏いる?」という発言は、異性愛者に「特権」のある異性愛中心主義の実践になると思います。そう思うと、無自覚や無知は罪だと思うのです。ですので、自身の特権に自覚的であることが判断軸の一つになっています。

 

■関西クィア映画祭を訪問

著者は9月21日~9月23日に大阪で行われた関西クィア映画祭に実際に参加しました。大阪会場(すてっぷ とよなか男女共同参画推進センター)には、今までのクィア映画祭の歴史、クィアな本を読めるスペース、また映画を見た後に意見交換ができるシネマカフェなど様々なブースがあり、スタッフの皆様に温かく迎え入れていただきました。多数上映されている映画のなかから、『パパのやり方』を鑑賞しました。

 

■パパのやり方(ジェームズ ロスカム監督)

(あらすじ)
いつも疎遠な父。大好きな母。噛み合わない兄。そして祖父。
両親の旅路を辿るなか、過去の暴力や痛みと向きあうロスカムが、対話の積み重ねを通じて「家族」を見出していく。映し出されるホームビデオや美しい自然の風景、感情をかたどったようなアニメーション。パッチワークのようにつなぎ合わせたロスカムの記憶に誘われ、私たちもまた、自分にとっての家族を見つめ直す。
(第12回クィア映画祭2018Webサイト:https://kansai-qff.org/2018/film_PaternalRites.html

トランス男性であるロスカム監督には、幼い頃に祖父から受けた暴力とそれを取り巻く家庭環境へのトラウマがありました。本作品はそんなロスカムと家族の間に生じた傷の記憶を、対話形式でたどるドキュメンタリー映画です。

「最大の罪は、何もしなかったこと」ロスカムの台詞がとても印象的でした。祖父から性暴力を受けたロスカムの怒りは、加害者である祖父ではなく、それに対して何もしなかった父や、祖父に加担した兄に向けられました。そのとき、ロスカムの話を聞くだけでも父がしていたら、何かが変わっていたかもしれません。

また、ロスカムによるカミングアウト以後、難しいことを避けたがる性格の父はロスカムを異質なものとして捉え、4年間も無視していたといいます。「変化は向上であり、停滞と対をなすもの」そのような劇中の台詞も印象に残ります。この映画はトランス男性をテーマにした作品です。「何もしないという罪」「変化は向上」この言葉が指し示す意味を、私たちはそれぞれの立場でもう一度考える必要があるのではないでしょうか。

本作品は本来の公開予定日よりも完成が遅れたそうです。「家族がもっと親密になるために映画を撮った。何年もかけて作ったからこそ変われた。」とロスカムは語ります。過去のトラウマから逃げず、映画を撮り続けたロスカムの心情は次第に変化していきます。

特に兄への手紙を読むシーンが心に残っています。祖父の暴力に加担していた兄への恨みは、映画が進むにつれて変化していきます。「兄は悪くないよ。おじいの部屋での出来事は許す。」ロスカムは自らの過去の傷を受け止め、許すことで兄に歩み寄ろうとしました。求めていたものは謝罪ではなく、仲が良かった昔のような関係に戻ること。ロスカムは折り合いがつかずにいた気持ちの居場所を、対話を通して見つけられたのかもしれません。対話による互いの理解、変化、向上。日々の対話の大切さを、対話のみという本映画の構造から再確認しました。

 

■新たな社会の見方を一人一人が手に入れるために。

今回の取材を終え、性と生を切り口に、多様な価値観に触れることができました。多様な考え方がある中で、社会の人々が質の高い生活をするためには、一人一人が変わる必要があると思いました。「本当にそれでいいのか?」という疑問を常に持ちながら、それぞれの場所で、今より1つでもよいものを作り上げ、ちょっとずつ変えていく。それが、私たちや企業ができることかもしれないと思いました。私たちも少しでも世の中を変えるため、今後の活動を通じて一層チャレンジしていきたいと思います。

 

■info

「関西クィア映画祭」は京都でも開催されます!10月18,19,20日@京都大学西部講堂京都では、実際に映画監督を務めたジェームズ ロスカム監督が登壇されるなど、多様なイベントが多数ご用意されています。みなさま是非お越し下さい。

(関西クィア映画祭Webサイト:https://kansai-qff.org/2019/

取材・文: 岡部友介
Reporting and Statement: yusukeokabe

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