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22

Oct.

2021

column
22 Sep. 2021
アート作品ひろ作「みんないろいろ」

「わたしなんか」を「わたしだから」へ。アート制作が扉を開きます。

佐多直厚
ソリューション・プランナー / プロデューサー
佐多直厚

パラスポーツ体験からアートを考えてみました。
 パラスポーツも、体験してみるとかなり難しい。ならばと、誰でもできるスポーツづくりも進んでいます。
電通ダイバーシティ・ラボも参画している国際ゆるスポーツ協会、PARADISのパラディスボールなどは、実に楽しい競技を創っています。みんなが楽しめるのはスポーツに限りません。アートの世界もそうなのです。 アートは才能があって、専門教育を受けた人のものではなく、誰でも気の向くままに絵を描く、音を奏でる、踊り出すものです。障害のある人々の描く絵が持つ独特の力に魅せられ、障害者の作品を超えた作家、アーティストとして世に送り出している方々が増えてきました。カテゴリーも障害者アートではなくアウトサイダーアート、アール・ブリュット、スーパーアートなどと作家性を前面に出すものへと変化しています。その牽引役の一人、アートコンサルタントで一般社団法人 Arts and Creative Mind(以下ACM)代表理事の杉本志乃さんに、その活動の意味を聞きました。

ACMギャラリー代表理事杉本志乃さんの写真

杉本志乃さん(ACM代表理事) 現代アート作品を手がける中から、現在はアウトサイダーアートに注力して作家と社会の価値ある出会いを創造している。ACMウェブサイトはこちら

「ラスコーの古代人は、美しく躍動感あふれる壁画を残しました。日本では戦前から、福祉の現場で生まれるアートが存在しました。瞬間瞬間を生き、感じ、表現する。それは、私たち誰もが持っている人としての本能です。近代化の中で、豊さや便利さを追求してきた私たち。しかし同時に、複雑な社会システムに縛られ、自らを表現する場所と時間と心の余裕を奪われてはいまいか。一方、障がいのある人たちの創る自由で飾らないアートは、今を生きる、ひとつひとつの小さな命の輝きを高らかに謳っています。現代美術家の大竹伸朗は、心の灯が無いところで生まれるアートはつまらないと言いました。それはすなわち「愛」だと。アートは特別な世界のものではありません。そこにある「愛」が、人と人との繋がりを生み、世界を変えるかもしれない。私はこれからも、そんなアートを探して旅を続け、皆さんとの出会いの場を作っていきたいと思います。」
 そういうアートに触れる機会を持ちたいというのは人としての本能に近いかもしれません。観賞する事ももちろんですが、冒頭のスポーツのように自分も参加してみれば、鑑賞の深まりも変わるはずです。
アート体験講座開催。
 みんながそれぞれに違う価値のある絵を描く。そのチャレンジとして筆者の所属する株式会社電通の総務局において、アート体験講座を今夏、開催しました。総務局とはあらゆる会社にあるコーポレート機能の担い手であり、経営や事業がスムーズにかつ好循環で回るように運営する部門。アートや創造性、未知の領域への挑戦には縁がないと思われがちです。しかしそんな堅実な部門だからこそのクリエイティビティの重要性、知恵そして気づきを得るため、アート体験講座「わたしなんかをわたしだからに」を、リモート会議形式での1時間、筆者が講師となって進めました。

総務局員が体得したカリグラフィーで構成した局会看板

アート体験講座の前に実施したカリグラフィー体験講座。みんなが楽しく仕上げた作品でタイトルデザインを構成しました。

さあ描いて、と言っても突然には描けませんね。そこで描いていただくのは誰しもが記憶になくても描けるモノ。マル。です。1歳くらいからペンを持たされると、まだ自由にならない手で紙に叩きつけます。1歳半になると肘や肩の動きがコントロールできるようになって、グルグル回し始め、だんだんとマルの重なりにまとまってきます。加えられた点で顔に見えたりして、
「これはママ?」
「ママ〜」
「パパだろ?」
「パパ〜」
なんていうふうに意味づけを学習していく過程にマルが登場していたのです。このマルをまずはたくさん描いてもらいました。時間は30分。たくさん描きます。好きなように。何の制限もありません。慣れないと描き出しと閉じを一致させる事も最初は難しいかもしれません。正円を描くのは意外に難しいです。いびつでもいいんです。それが自分のマルであり、同じものは二つとないマルです。
用意するペンはなんでも大丈夫。でも紙はこだわりましょう。家にある一番いい紙を用意してください。そうすると描き味も違いますし、もったいないから集中力も違います。大きくても、小さくても結構。みんな無言で一心不乱に描いていきます。

リモート講座を発信した筆者のデスクの様子。PC、モニター、カメラが複数あり、UD トークで音声認識も配信。

発信するデスクにはMac、PC、モニター、UDトーク配信セット、複数のカメラとマイクなど。見本に描いたのはキャンバス地の葉書用紙です。

 その間、冒頭でご紹介したアウトサイダーアート、アールブリュットをこの講座ではどう捉えるかを解説し、アーティストと作品を紹介。この記事ではACMにお願いして加地英貴さんの作品とその真髄をご紹介したいと思います。1992年大阪生まれ。重度の自閉症の彼には日常生活において様々な「こだわり」があります。現在の作風は色彩構成。均整の取れた画面が美しいですね。丹念に塗り込められた色彩は絵具ではなく色鉛筆です。一年近くかけて重ねられたその塗りの強さは圧倒的なオーラを放って見る人に迫ります。実は彼にとっての作品はもうひとつ存在します。制作に費やした圧力が見る人に想いを語りかける短くなった色鉛筆たち。これは素晴らしい作品そのものです。加地さんがこの色鉛筆を掌いっぱいに掴んだときの感触と満足感をまざまざと想像出来ます。

加地英貴さんの作品 色鉛筆で丹念に塗り込められた色彩構成です。

加地英貴作「ゲルマニウムレッド/レモンイエロー/フォレストグリーン/パープル/コバルトブルー/ダークフタロブルー(秋のはじまり)」 実物を目の前にすれば、そこにある色のチカラに心を奪われます。圧力ではなく、癒しの抱擁のように感じます。

もう限界まで短くなった色鉛筆が4つのガラス瓶にぎっしり詰まっています。

加地さんのもうひとつな作品。極限まで短くなった色鉛筆たちがおさまる瓶。彼はこれを手に入れたいのです。

どうしたらアートを楽しめるのでしょう?
 アートって苦手という方には二種類あります。一つは描くのが苦手な人。もう一つは鑑賞してもよく分からない人。デッサンは見えるものを再現するという一つの才能です。再現性だけではないことは音楽でもご存知のように、叩くことができればセッション可能。同様になんでもいいから何か描きつければいい、自由に描く才能は誰にでも与えられています。
 鑑賞する手がかりは、描くこと、描かれているものへの共感です。そこにあるのは集中力。それが観る人を感動させます。この講座で描いているマル。そのカタチ、連なりが表現する執念。「わたしなんか」と言いながら、飽きずに描いていって仕上がったら、それは終わりではなく作品の誕生です。発表する機会があれば、作品と作者の成長にもなるはず。鑑賞する喜びは画面に込められた作者の思いとの観る対話。抽象画こそが鑑賞するべきアートだとまで言う方々もいますし、具象画の中に秘めた想いも汲み取ることができるはずです。
制作タイム終了、作品誕生です。 
 あたえられたマルを描く。どんな作品になったでしょう。作品にはタイトルがつきます。そして作者としてもそれらしい名前を名乗ります。では鑑賞してみましょう。

アート作品ひろ作「みんないろいろ」

ひろ作「みんないろいろ」 画材ボールペン・カラーマーカー 夏の庭風景に向日葵のように浮かぶディスプレイに仕立てました。

アート作品 Yan作「混沌」

Yan作「混沌」 画材ボールペン つながるマルが生命の誕生に見えて、混沌を感じて。

アート作品Marube作「∞」

Marube作 「∞・無限大」多色ボールペン・カラーマーカー 限られた時間でのすごいマルの数。かわいさの中に無限大のリズムを感じます。

アート作品 A2作「2021年の夏」

A2作 「2021年の夏」 画材多色ボールペン・カラーインク 益子焼の菓子鉢を額に仕立てたディスプレイ。

 

短い時間に「わたしだから」描けたアートが生まれました。自分にはセンスがないと断じる人もいらっしゃいますが、センスがあるかないかを決めるのは自分自身だけじゃないのです。わたしを取り巻く人に見せてみましょう。ACMからご紹介いただいた加地さんも、関わる人々の励ましを受けて、絵を描くことから自分を社会に開くことができたのかも知れません。

今回参加した方々からも、こうやって背中を押してくれる人がいれば何事もできるとか、自分と向き合うにも、社会と向き合うにもきっかけと気づきが大切という言葉をもらいました。この体験講座は知らないわたしに出会う扉を開ける一つの方法でした。ダイバーシティでインクルージョンな生活には、まだまだ知らないわたしの扉があるはずです

取材・文: 佐多直厚
Reporting and Statement: raresata

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