挑戦する姿で、「勇気と自信」のパスをつなげたい~車いすラグビー・池透暢選手〜
- 共同執筆
- ココカラー編集部
パラアスリートや、パラスポーツを支える人たちに取材し、彼らと一緒に社会を変えるヒントを探るシリーズ「パラスポーツが拓く未来~パラスポーツ連続インタビュー~」。第13回目は、車いすラグビー日本代表のキャプテン・池透暢(いけ・ゆきのぶ)選手に聞きました。
車いすラグビー 池透暢選手
高知県出身/車いすラグビー3.0クラス。19歳の時に交通事故に遭い、左足を切断。全身の7割以上に火傷を負い、左手の感覚を失う。2012年に車いすバスケットボールから車いすラグビーに転向。2014年からは日本代表のキャプテンを務め、2016年のリオパラリンピックでは史上初の銅メダルを獲得。2018年には世界選手権で初優勝。2019年10月から翌4月までアメリカ・アラバマ州バーミンガムのチームに所属してプレー。東京2020大会では銅メダルを獲得。日興アセットマネジメント所属。
■パラスポーツとの出会い
社会とつながる前に、まずスポーツとつながる
もともとスポーツが好きだったので、交通事故後の入院生活が終わり社会とつながる前に、まず「スポーツとつながろう」という想いがありました。リハビリの時、車いす卓球をやったりしましたが、やがて車いすバスケを知り中学校の恩師からの勧めもあり、退院してからは車いすバスケを始めました。実際、ボールコントロールもシュートも難しいのですが、それよりも「これは、本当にスポーツだ」「障がいがあってもスポーツができるんだ」と感激して、ワクワクしたことは、いまでも覚えています。自分が交通事故で障がいを負ったことで、あれもこれもできないと自信を失っていた時でしたから、スポーツを通して成長できることがとても楽しかったです。
「車いすバスケットボール」から「車いすラグビー」へ転向を決意
車いすラグビーへ転向を決意したのは、2012年ロンドン大会の頃です。ロンドン大会の選考会の直前に動脈瘤が発見され手術を受けましたが、医者から1年間無理をしないようにと言われ、車いすバスケを続けることに迷いが出てきました。一方で、車いすラグビーからは3年間ずっと誘われ続けていました。そして、ロンドン大会で銅メダルをかけてアメリカと戦う日本の車いすラグビーを見て、「これをやるか」と心が動きました。そして、自分が日本代表メンバーに入って「日本をもっと強くして、メダルとるぞ」と決意しました。
車いすラグビーの醍醐味は、何と言ってもその激しさです。実は、タックルが唯一認められているパラスポーツなのです。前から突っ込んできたり、後ろからズドンときて転びそうになる。この激しさと、ローポインターと呼ばれる障がいの重い選手を活かした戦術や、さらに男女混合というのも車いすラグビーの面白さです。女性選手が屈強な体格の男性選手にタックルして戦っている姿は、見る人に勇気と感動を与えますね。
■「メダル」への挑戦の日々
みんなの個性が活きたリオ大会
リオのメダルは、友人の分まで生きた「証」だった
2015年、車いすラグビー日本代表のキャプテンになり、リオ大会に向けたチームづくりに取り組みました。チームはすごく個性のあるメンバーの集まりです。そこを、ダブルキャプテンでみんなの意見を聞きながら、チームとしてまとめていく。リーダーとしてぐいぐい引っ張るというよりも、みんなのいいところを生かし合えるチームづくりを目指しました。
みんな、ロンドン大会で悔しい思いをしているので、前向きな意見が活発に出て、自分も好きにいろいろな意見を言わせてもらいました。そうしたことで、チームに新しい風が吹いていると感じてもらえたのではないかと思います。
そして迎えたリオ大会では、見事「銅メダル」を獲得。本当にうれしかったです。しかもこの「メダル」は、僕にとっては特別な意味がありました。交通事故で友だちを失った時から、その友だちの分まで生きようと思い続けてきました。だからこの「メダル」は、僕がそうした想いで生きてきた「証」なんです。ひたむきに頑張って、国民の皆さんに知ってもらえるぐらいの結果を残せたことで、ようやく肩の荷が下りたと感じられました。
東京2020大会に向けては
メンタルコントロールが大切だった
コロナ禍による東京2020大会開催の延期で、落ち込んでいたメンバーもいて、メンタルトレーナーのアドバイスのほか、オンラインミーティングやメッセージツールを活用して、モチベーションづくりを工夫しました。たとえば、メンバーそれぞれが独自にやっているトレーニングを動画撮影して、みんなでシェアしました。そうすることで「こんな練習があるんだ、自分もやってみよう」とお互いの刺激になるとともに、コーチやスタッフにとっては選手の状況がわかるので安心でき、今後のトレーニング対策に役立てることができました。
自分としては、「目標設定」を工夫しました。「パラリンピック」という自分でコントロールできないことには目標を置かず、2021年のフィットネスチェックで過去に出した最高数値を超えることを目標にしました。こうしたことで、迷わずに頑張れたのだと思います。
リーダーの真価が問われた3位決定戦
東京2020大会の中で、僕のリーダーとしての真価が問われたのは、準決勝でイギリスに敗れて帰るバスの中でした。選手もスタッフも押し黙った重苦しい雰囲気で、このままでは明日の3位決定戦にも負けてしまう。そこで、大会前にみんなで勝利を誓い合った場所、パラリンピックのシンボル「スリーアギトス」のモニュメント前に集まろうと言って、それぞれの思いをもう一度確認しました。「自分たちの役割は何か」を話し合い、「明日は最高のゲームをしよう」と誓い合いました。そして、翌日のオーストラリア戦は、試合内容も素晴らしく、いまできる最高の結果として「銅メダル」をとることができました。
振り返ってみて思うことは、目標への道のりに困難はつきもので、最後の最後に乗り越えないといけない瞬間が必ず出てきます。その時に、全員の力を集結できるリーダーが真のリーダーだと思います。
そうした意味でも、パラリンピックは自分が成長できる場でした。さらに、いろいろな出会いでも成長するし、それにかかわる人たちも輝かせる場。そして、大会が終われば、子どもたちに自分の経験を聞いてもらえ、いろいろなコンプレックスを持っている子どもたちに「自分もできるかも」と勇気や自信を与えることができます。それは、僕自身の存在価値が認められたという「喜び」と「感謝」につながってくるなど、パラリンピックへの挑戦で、いろいろな相乗効果が生まれていることを実感しています。
■パラスポーツの発展に向けて思うこと
もっと僕たちを活用してもらいたい
東京2020大会は、メディアにもかなり取り上げられたことで、地元の高知では「池選手 銅メダルおめでとう」と垂れ幕をドーンと飾ってくださったり、地域のみなさんから声をかけられることが多くなり、パラリンピックに関心を持っていただけたことを感じています。
それとともに、「車いすラグビーをやってみたい」という人も増えたと思います。車いすラグビーの競技人口は、日本全国で100人いくかいかないぐらいですが、おそらくこの大会を終えて10%ぐらいは増えたと思います。障がいで入院中の子どもたちからも「車いすラグビーをやるんだ」という声が、知っているだけで5、6人出てきていて、盛り上がりを感じています。
これから大切なことは、こうした関心の高まりを一過性にしないことですね。何もしないと、人気も認知度もどんどん下がってしまいます。やはり、認知され続ける環境づくりがとても大切だと思います。そうした意味で、これからもパラスポーツをいろいろな地域のメディアで取り上げてもらいたい。僕たちをもっと活用してもらいたいのです。大会のあるなしではなく、「人」にスポットをあてて、「この人はこれに向いている」「この人はこれができる」というように、パラリンピアンをどんどん動かしていく。特に地方のパラスポーツに対する認識は低いと感じるので、各地のメディアの力を借りて「パラスポーツの根」を全国に広げていくことができればいいと思います。
学校や企業の場でも、
僕たちを活用する機会を広げてもらいたい
パラスポーツの発展に向けては、未来のアスリートの発掘が大切です。いま、学校に出向いて講演活動や体験会活動に積極的に取り組んでいます。学校側では教育活動の一貫として考えて、依頼も増えてきて、アスリートを増やすチャンスとしてうれしく思っています。ただし、課題もあります。たとえば、さまざまな活動に選手やスタッフはボランティアとして仕事を休んでサポートに行ったり、また、重度の障がいの子どもに体験してもらう場合は、サポート人数も多くなるなど、運営面での支援が必要になっています。
企業における活動という点では、僕の場合は会社が開催する「お客さま向けのイベントや講演会」でお話しする機会が多くなっています。もともと会社では、「誰かを応援することで、会社のみんなの気持ちをひとつにしたい」という考えがあって、車いすラグビーの選手として雇用されました。そして「前を向く人」というキーワードで、マーケティング活動に参加しています。また、講演会では「チャレンジや自信」といったテーマでお話しして、それを聞いていただいた方から感謝の声を聞くと、自分自身のモチベーションアップにもつながっていきます。
■これからの人生で、大切にしていきたいこと
挑戦して、自分を楽しむこと
やはり「挑戦」することを大切にしていきたいです。「高知では、何もできない」といって、パラスポーツやいろいろなことに挑戦するのをあきらめてしまう子が多いようです。だから「高知からでも、いろいろなことができるんだ」ということを、僕自身から示していきたいですね。そして、「自分を楽しんで生きている人」になりたいです。19歳で事故に遭って本当に苦しかった。でも、それまでの人生はものすごく楽しかった。いつか振り返った時に、「事故の後の人生も、ものすごく楽しかった」と言える人生にしたいと思っています。
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壮絶な経験やキャプテンという重圧を背負いながらも、「楽しんで生きている人になりたい」と語る池選手にとって、「社会とつながろう」と思った時に出会ったパラスポーツが、その後の人生を支えてきたのだろうと感じました。また「全員の力を集結できるリーダーが真のリーダー」という池選手のチームビルディングは、D&Iを意識した組織づくりにおいて非常に参考になります。ヒーローとしての彼の背中を追って車いすラグビーやパラスポーツを始める子どもたちが、楽しい人生を歩める社会を目指していきたいです。
《参考情報》
『三井不動産第23回日本車いすラグビー選手権大会』
開催期間:2022年2月4日(金)~6日(日)
会場:千葉ポートアリーナ(千葉県千葉市)
取材・執筆:桑原寿、吉永惠一、斉藤浩一
編集:八木まどか
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