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2024

column
16 Sep. 2020

合言葉は、インシャッラー 。強烈な拒否反応の先に、理解がある。

得津有明
プランナー
得津有明

「どちらにしようかな、神様の言う通り〜」と、口ずさんでいた記憶がある方も多いかと思います。日本から遠く離れた国々では、このわらべ唄を合言葉にして暮らす人々がいることをご存知ですか?

2015年1月、アルジェリア駐在を命ず、と内示を受けた商社勤務時代の筆者。「どこや?!」と世界地図で赴任するアルジェリアなる国を確認しつつ、未知の世界に飛び込む喜びに浮足立っていました。

初めてのイスラム教文化圏。まあ、すぐに暮らしに馴染んで楽しめるだろうと、タカを括っていたのだと思います。アルジェリア航空の古びた機体の窓から目下に広がる砂漠のごとく、そんな甘い考えが崩れ去るとは知る由もなく。。。

 

皆さんのイメージするイスラム教とはどのようなものですか?豚肉を食べない?断食?飲酒禁止?白服を着ている?大小の違いはあるものの個々では正解。つまりは、生き方そのものが違うということです。

着任後、筆者は違う生き方を感じるべく、様々なことに挑戦しました。モスク礼拝、断食、ご近所さんとの食事会やヒゲを生やしてみたり。

海外旅行をすると、全てが新鮮で日本より旅行先の方が、自分に合っていると感じることはありませんか?筆者もそのマジックにかかり、イスラム教を理解し、馴染んでいるとの錯覚に陥っていたのでしょう。しかし、歯車がずれてマジックが解けると、今度は恐ろしい拒否反応となって襲いかかってきます。

(首都アルジェ唯一のゴルフ場)

筆者にとっての歯車のズレは、「Inshallah(インシャッラー)」という言葉でした。

インシャッラーとは、アラビア語で「神様の言う通り」。日本人にとっては相槌に近いと感じる、よく使われる言葉です。

 

「じゃあ、明日4時に待ち合わせね。」「OK、インシャッラー」

「月末だから経理処理よろしく。」「もちろんだよ、インシャッラー」

 

どうですか?日本人の感覚ではYESと思われる方が多いのではないでしょうか?しかし、彼らにとっては、神様の心が向けばOK、つまりYESではないのです。蓋を開けたら、4時に来ないなんて当たり前。

1度や2度であれば笑い話ですが、続くと苛立ちになり、イスラム教の人は自分に合わない、と拒否反応へ変わっていきます。在任中の出国が原則禁止であった筆者は、こうしてネガティブな毎日を過ごすことに。

 

そんなある日、現地人同僚からいつ日本に帰るのか聞かれました。

 

「多分3月じゃない?本社から連絡くるまでわからんよ。インシャッラー」

 

無意識のうちにインシャッラーが自分の口から出たのです。あーー、こういうことね。正直わかりもしないことに答えるのが面倒くさかったと言う面もありますが、こうして曖昧な余地を残すと楽じゃん、と気づきました。

(首都アルジェの銀座通り)

きっと彼らがインシャッラーを使う理由とは違うのだろう。でも、筆者は筆者なりにこの国の生き方に近づいた気がしました。なぜなら、自分の体に染み込まれたからこそ出た言葉だから。

モスク、ラマダン、それらは目にも分かりやすく日本との違いを見つけることができます。第一歩として大事なことですが、「違いを見つける」ことが目的になると、行き着く先は理解ではなく、違うから嫌い/好きといった区別、ではないでしょうか。それが行き過ぎるため、人種差別や他宗教排除という感情が世界からいまだになくならない。

異文化を理解するとは、違いを見分けることでなく、違いの中にある良い点・悪い点を自分の生活様式に取り入れてみる、良き妥協点を見つける、ということではないでしょうか。そして、今までの自分の中に、違う生き方を取り入れる過程では、予防接種と同じで拒否反応があることも自然かと思います。

(先輩駐在員宅から望む市街。右端が独立記念塔)

断片的な情報や、肌の色など分かりやすい情報だけで、他人種・他宗教は自分と違う、で終わらせるのではもったいない。食事でも言葉でも、何か一つ取り入れみてはいかがでしょうか。その過程で自分なりの良き着地点が見つかるかもしれません。

 

ん?筆者もこれからたくさん記事を書くのかって?

それはもちろんですとも、インシャッラー。

取材・文: 得津有明
Reporting and Statement: ariaketokutsu

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