【前編】メンタル不調で会社を休んで気づいた、自分と仕事との付き合い方|並河進さん×医師 鈴木裕介さん
- メンタルヘルスラボ /クリエーティブ・プロジェクト・プロデューサー
- 渡邊はるか
メンタルヘルス不調を経験しても「大丈夫、自分は働いていける」と思うためには、 どうしたらよいのでしょうか?答えは1つではありませんが、誰かの経験談や、専門家の知識が、参考になるかもしれません。
筆者は、新人時代にメンタル不調で2年間休職したことをきっかけに、2020年〜通信大学と心理オフィスで心理学を学び始め、2021年にメンタルヘルスラボを立ち上げました。
不調体験を共有する場作りなどを通じて、メンタル不調やそれに起因する働く上での制約があっても、自分らしさを活かして働けるよう、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
イベント「並河進さんと鈴木裕介先生に聞く!メンタル不調体験とその付き合い方」を開催
メンタルヘルスラボ活動の第一弾として、2021年7月、デジタル/ソーシャル領域で活躍してきたクリエーターの並河進さんが、自身のメンタル不調体験を語り、「メンタルクエスト」著者である心療内科医の鈴木裕介先生が解説するイベントを、電通グループ内で開催しました。
「メンタルヘルス不調と仕事を両立するには?」
「キャリアステージごとの違いは?」
「もしメンタル不調の相談を受けたら?」
をはじめとする率直な語りに、500名近くが参加し、400件の感想コメントが寄せられたイベントです。
3部構成でレポートをお届けします。
※本記事の体験談がみなさんに当てはまるとは限りません。本記事は何らかの解決策を示すものではないことにご留意ください。
登壇者
並河進さん(電通CXクリエーティブ・センター局長)
長年ソーシャルプロジェクトやデジタルクリエーティブに取り組む。著書に「Social Design―社会をちょっとよくするプロジェクトのつくりかた」「ハッピーバースデイ3.11」など。
自身のメンタル不調の経験から、メンタルヘルスサポートに興味を持つ。自身のメンタル不調体験を作品に昇華した詩展および詩集「little stones in panic forest -いつか心の森で迷ったら 言葉の小石を目印にして-」を発表。
鈴木裕介先生(内科医・心療内科医・産業医・公認心理師・キャリアコンサルタント)
2018年「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原内科saveクリニックを開業、院長に就任。著書に、メンタル攻略をRPGに例えた「メンタル・クエスト 心のHPが0になりそうな自分をラクにする本(大和出版)」や「我慢して生きるほど人生は長くない(アスコム)」がある。心からゲームを愛するゲーマーでもあり、薬だけでなく、おすすめの書籍やゲームを紹介する「コンテンツ処方」も行う。
パニック障害で仕事を休むことに。そのきっかけと症状
並河:今回、メンタルヘルスで悩んでいる人たちの少しでも力になれることがあればと思い、体験談を話すことにしました。ただし、僕の体験談はあくまでも一例です。こんな話をすることは今までなかったのでちょっと緊張しているのですが、頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。
ゆうすけ先生の『メンタル・クエスト 心のHPが0になりそうな自分をラクにする本』では、所々でRPGにたとえていて楽しいので、僕もRPGに例えて話します。「並河進の冒険」です。
僕の体調が悪くなったのは2010年の夏ごろ、30代後半のときです。
いろいろなプロジェクトでクリエーティブディレクターを務めるようになり、やりがいはすごくあったのですが、仕事がとても忙しく、残業もトラブルも多かった時期で。自分自身で抱えきれない、いろいろなところからあふれてしまいそうな感覚がありました。
仕事は面白いから、自分の意思でやっているという気持ちで働いていたのですが、時々呼吸が苦しくなったり胸が痛くなったりして、病院に行くけれど、どこも悪くないということが何回かあり、会社でも倒れて病院に行くこともありました。
その頃から、気持ち的にも荒れてしまい、メールで厳しい言葉を周りの人に送ってしまって次の日に後悔する、会社でも人と言い争いをするといったことが続きました。その頃は、ヒットポイントが0に近かったのかな、と思います。
何もなくてもベッドにいると急に涙がこぼれてきたり、明るい日差しが、急に雲が来てふぁーっと暗くなるみたいに急に気持ちが沈んだりするようになったり、理由は全然ないのに死ぬのではないかという不安が訪れたりしました。
そして2010年9月ごろ、妻が「精神科に行こう」と言いだして、僕は最初ちょっとそういうところに行くというのがとても抵抗感があったのですが、妻がすごく真剣だったので、心を打たれて「これは行こう」ということで妻と一緒に病院に行きました。すると、そこでパニック障害と診断されて、抗うつ剤を処方されました。
そこで僕は初めてパニック障害という病気について知り、これは脳が混線している状態ですよという説明を受けました。体の病気と同じように病気なのだということで、風邪も薬を飲んで安静にしていれば治るように、治るものなんだ、と。
僕は、人に厳しい言葉を送ってしまったりして、自分自身が変わったように感じていて、それも怖かったのですが、体の病気と同じように、病気なのだと知りました。そして、そのときにもらったパニック障害についてのパンフレットに、パニック障害が原因で死ぬことは絶対にないと書いてあって、最悪でも死なないのだ、ということが分かって、少し楽になりました。
そして、妻に「生きていてくれたら、それだけでいいから」と泣かれて、それが大きな励ましにもなりました。
会社を休んでいた時の過ごし方。妻と物語に助けられた。
1回休みということで、僕は2010年9月中旬から10月中旬まで1カ月間会社を休み、家のベッドで寝ていました。よく一人で泣いていました。
あと、これはなぜか分からないのですが、何かを握りしめていないと不安で、家に、娘の工作の残りで、木片に釘を幾つか刺したものがあったので、それをいつも握りしめていました。握りしめていると釘が手のひらにちょっとあたったりして安心しました。何か頼るものがないと自分がどこかに行ってしまいそうな感覚で握りしめていたような気がします。
他には、狭いところにいると不安で、地下鉄の乗り換えで暗い道を歩くと壁が迫ってくるような感じもあって、電車に乗れなくなりました。
漫画を読んでいるときは別のことを考えられてとても助かりました。『ONE PIECE』をそのとき出ていた全巻読みました。
こんな特別な状況を作家活動に生かしたいという客観的な気持ち、今まで見えていなかった心の奥底に手が触れたような感じもあって、自分を見つめる行為として、詩も書くようになりました。後で2014年に『little stones in panic forest -いつか心の森で迷ったら 言葉の小石を目印にして-』という詩集を出しています。
処方された薬はいわゆる抗うつ剤だったのですが、その薬が効いて、気持ちががーんと下がっていくところが、かつっと止まる感じで、僕の場合は、 薬にはすごく助けられました。
少し元気になったタイミングで気分転換に日光に一人旅に行きました。湯葉づくしの男の一人旅みたいな謎の旅行プランがあったので、それに申し込んで、一人で湯葉を食べていたのですが、一人は逆に寂しくて、ずっと妻に電話やLINEをしていました。
仕事を一度手放して、気づけたこと。
休んでいる中で、気付きがありました。
休む前から、クリエーティブディレクターとして取り組んでいた大きなプロジェクトがあり、他のメンバーの皆さんに任せて休んでしまったので、ずっと申し訳ない気持ちでいっぱいで、会社を休んでいても夜に誤植がある夢を見て飛び起きたりして、心配していました。
でも、会社を休んでいた10月15日の朝、新聞を開いたら、その原稿が載っていて、それはとても素晴らしい原稿でした。
仕事を全部自分で背負わなくても、手放してもいいのだという気付きがあって、ちょっと気が楽になりました。
「並河進はレベルが あがった!」ということです。
そして、1カ月ぐらい休み、胸の痛みや倒れたりすることがなくなったので、薬を飲みながら、しばらくは短時間で仕事に復帰しました。
信頼する別の局の先輩に、「うちの局に来ないか」と誘っていただけて、異動して、とても感謝しています。気分が変わったこと、そうやって「来てほしい」と求められていることがうれしかったのです。
また、自分の中で、この線を越えると駄目なのだという線が分かるようになりました。その線に近づいているときには、「それはちょっとできないので任せます」と宣言したり、「この1週間は休むので」と言ったりして、その分、元気なときは周りにその感謝をお返しするようにしています。
これで仕事がうまくいくようになった感覚もあって、全ての仕事において、誰かがいないと回らないような形ではなく、誰かが休んだらそこをサポートするというのが、別に具合良い、悪いとか関係なく、あるべき形なのだろうと思うようになりました。
仕事に復帰した頃うれしかったのは、昔からよく行っていたラーメン屋に一人で行って焼きそばを食べられたことです。一人で外食なんてもう一生できないのではないかと思っていました。そのときのことを詩にも残しています。
「今日、焼きそばを食べたよ。
君の苦手な脂っこい焼きそばを。
おまけにキムチ。
君のしかめっ面が見えるよう。
最後にジャンボ餃子。
『私、無理』って絶対言うだろう。
僕一人の夕ご飯。
見えない君と一緒の夕ご飯*」
2011年3月11日、東日本大震災が起きました。僕は、それまでいろいろなソーシャルデザイン、ソーシャルプロジェクトをしていて、さまざまなNPOの方とつながりもあったので、毎週仙台に行って個人的なボランティア活動も始めました。企業とNPOを結んだプロジェクトも立ち上げました。
まだ薬を飲んでいたので、具合が悪いときもあったのですが、東日本大震災のあの様子を見ると、自分の病気なんて些細なものだという気持ちにもなり、また、誰かをサポートすることで自分が救われるという感覚もありました。
だんだん良くなって、病気のことを忘れている時間が長くなっていき、2013年ごろに医師から「もう薬を一回やめてもいいかもしれませんね」と言われ、断薬しました。
ただ、2018年ごろにとても忙しくなって、線を半歩ぐらい越えてしまっているなというときがあり、そのときはすぐに病院に行ってまた薬を1年ぐらい飲んでいました。また、その頃は1週間ほど会社を休みました。妻が散歩に付き合ってくれて、近所のカフェに歩いて行ったりしました。
その後、2019年に別の心臓の病気で3カ月休んで、復職しました。
メンタル不調は乗り越えるというより、付き合うもの
僕はメンタル不調を乗り越えたとは思っていなくて、付き合いながらやっていくのだろうと思っています。ですから、今日のイベントのタイトルは「乗り越え方」ではなく「付き合い方」にしました。
僕がメンタル不調で休んでいる間不安だったことは、仕事に戻れるのかということです。人前で話すことも怖くなり、プレゼンができるのかといった強い不安がありました。また、メンタル不調になったことで、バイアスがかかった目で見られると嫌だなという思いもありました。
気付いたこと、一つ目は、自分が抱えきれない分は手放すことも大事だということです。
二つ目は、これは病気なんだということです。風邪や骨折と同じで、自分の心が傷付いている、混線している状態だから、対処する方法はあるのです。
三つ目は、病気の自分を客観的に見ることの大切さです。心の場合は、肉体のように客観的に見れない、自分とくっついているのが難しい。でも、客観的に自分の心の状態をとらえることが大事だと思います。
四つ目は、日常の喜びの大切さです。焼きそばが食べられて幸せだとか、毎日忙しく働いていて、そういう日常の喜びの大切さに目を向ける余裕が全くなかったことにも気付かされました。
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【中編】「もうダメかも」不安に対処し自分のニーズを満たすための、回復魔法とは。|並河進さん×心療内科医鈴木裕介さん はこちら
【後編】自分や周囲のメンタル不調に気づくには。キーワードは「斜めの存在」|並河進さん×医師 鈴木裕介さん はこちら
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メンタルヘルスラボとは
メンタル不調や、それに起因する働く上での制約があっても、自分らしさを活かして働けるよう、2021年4月にスタートしたラボです。電通をはじめとする企業の不調経験者やサポーターの方を中心に、みなさんと一緒に考える場をつくります。活動の積み重ねを通じて、会社や社会の風潮を和らげていくことを目指します。
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