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Sep.

2020

case
13 Aug. 2020

もののけ姫に学ぶダイバーシティ

飯沼 瑶子
副編集長 / プランナー
飯沼 瑶子

「あんたも女だったら良かったのさ」

この言葉を、今のあなたはどんな風に受け止めますか。

20年ぶりに観たもののけ姫は、小学生の頃には見えなかった発見に溢れていました。

 

既成概念に捉われない役割
まずタタラ場を仕切るエボシ様のリーダー像に注目せずにいられない。

タタラ場は男女が対等に暮らす場所。
「俺たちが命がけで運んだ米だぞ」と言う男に、
「その米を買う鉄を作っているのは誰よ」と言い返す女。

エボシ様は、売られた娘をみんな引き取ってきて、本来「女にやらせるべきではない」とされている製鉄の仕事を任せているのだが、これは世間の常識よりも、そのコミュニティにおける最適な役割分担を考えた結果なのではないか。女の方がこの仕事に向いているということでも無いように思う。誰がやっても体力的にも大変で辛い仕事。
それでも「お腹いっぱい食べられて、誰かに威張られることもなく、下界に比べればずっといいよ」と女たちが肯定できる仕事。

そして、障害を持つ人も、彼らにしかできない専門性を持って村で必要とされている。
エボシ様は、病気や見た目からみんなが怖がって近寄らない人たちにも敬意を持って接し、仕事を作る。
当たり前に同じように行動できるだろうか。分かりやすい中傷や攻撃こそしなくても、関わらないことの方が実際には多いかもしれない。

 

エボシ様が作っているのは、誰もが自分の役割を持ち、それを誇ることができ、尊重しあう/せざるを得ないコミュニティ。

 

それぞれの正義
この映画における悪者は誰なのだろう。

かつては森を壊すエボシ様が悪いのだと思っていた。
でもエボシ様が目指しているのは森の破壊そのものではなく、その先にある、下界ではみ出してしまった人たちが尊厳を持って生きる場としてのタタラ場づくりなんじゃないかと思うと、悪者と一言で片づけられない。

エボシ様を殺そうとするサンや山犬たちは、森やそこでの暮らしを守るために戦っている。
シシ神様の首を求めるジコ坊たちは、帝の命令に従って任務を遂行しようとしている。

 

どの立場に立つかによって、正義は変わる。
その上でバランスを取ってなんとか共存できないのかと、ずっと言っているのがアシタカ。

対立構造の先へ
ともに生きようとするのは、アシタカとサンだけではない。
女と男であり、障害者と健常者であり、違う村や種族同士であり、自然と人間。

むしろこんな二つに区分する必要すらないのかもしれない。
対立し、それぞれの正義を振りかざして戦うのをやめて、双方が生きる道を探そうというのが大きなテーマ。

それを強く感じたのが、記事冒頭のセリフからの流れ。
これはエボシ様を一人でお守りするには今一つ頼りないゴンザ(男)に向けてトキ(女)が言ったもの。
ゴンザはタタラ場の男たちと少し違う立ち位置。男グループに属しているわけではないように感じる。だからといって女たちにも属していない。
その後、シーンが切り替わって流れるのが、米良美一さんによる映画のテーマ曲。
そしてモロから語られる、人間にも山犬にも属しきれないサンのこと。

 

何かのグループに属することは仲間を得ることであり、心強いことでもある。
だけど、そのグループに縛られすぎる必要もないのかなとも思う。
アシタカは人間だが、タタラ場と森の戦いのどちらか一方に加勢するわけではない。腕に呪いを負ったアシタカは、タタリ神になった猪の気持ちも共有する。シシ神様に命を助けられ、森を慈しむ。

「アシタカは好きだ。でも人間をゆるすことはできない」
そんな風に思える一人との繋がりが、はじめの一歩になるのだろう。


この記事では、ダイバーシティの観点で注目したトピックスを紹介させて頂いたが、映画にはさらに多様なテーマが描かれており、観る人の立場によっても感想はきっと大きく異なると思う。

ぜひ、ご自身の“曇りなき眼で”見定めてください。

取材・文: 飯沼瑶子
Reporting and Statement: nummy

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