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Dec.

2024

interview
12 Jun. 2023

“なんだかわからない” でいいとおもう ~ NHK Eテレ“no art, no life”に学ぶ、 インクルーシブな社会へのヒント。

濱崎伸洋
DEIディレクター
濱崎伸洋

NHK Eテレ“no art, no life”の牧野 望チーフプロデューサーに、どうしても会いたかった訳。

NHK Eテレで放映中の“no art,no life”という番組をご存じでしょうか?毎週日曜日の朝に、アウトサイダーアート/アールブリュットの作家を取り上げる5分番組で、障がいのある(あるから?)すごい才能を発揮する方がたくさん登場します。だれもがこの番組のようなまなざしで障がい者を見つめることができたらどんなにいいだろう、そんな気持ちが、この番組を手がけるNHKのチーフプロデューサー、牧野 望(まきの のぞむ)さんへのインタビューに駆り立てました。

 

生身の作家に生身のスタッフが向き合って生まれる、世界観。

濱崎:じつは私、“no art,no life”の大ファンでして、障がい者を見つめる番組のまなざしがいつも優しく繊細で、どうやったらこんな映像とれるんだろうって、いつもおもって観ています。

牧野:ありがとうございます。いま濱崎さんが「障がい者」とおっしゃいましたが、ぼくらは「障がい者」だけを取り上げている意識はあんまりなくって、いわゆる「アウトサイダーアート」とか「アールブリュット」と呼ばれる、つまり正規の芸術教育を受けていない、市井の人たちによる創作や表現を取材しているって気分なんです。

濱崎:なるほど、だから時々、障がいのない方も番組に登場されるんですね。そもそも、牧野さんがこの番組を作ることになったきっかけを教えていただけますか?

牧野:2006年にNHKスペシャルの仕事で糸賀一雄さん、池田太郎さん、田村一二さんという3人のドキュメンタリー「ラストメッセージ この子らを世の光に」という番組を、ディレクターとして制作しました。この3人は戦後日本の障がい保健福祉の先達なんですが、取材の過程で知的障がい者のアート作品を目にする機会があって、妙に心にひっかかったんですね。その時は彼ら3人の足跡がテーマだったのでアートを深く掘り下げることはしませんでしたが、いつかこれをカタチにしたいという気持ちがずっとありました。

その後プロデューサーになって、いまも”no art, no life ”の制作の中心人物である伊勢朋矢さんというディレクターと出会い、伊勢さんだったら、ぼくの内で引っかかってきたこの気持ちを一緒にカタチにできるのでは、とおもって作ったのが、ETV特集“人知れず表現する者たち”というアウトサイダーアート/アールブリュットの作家たちを取り上げるシリーズで、この3月にパート4まで放送しています。

この“人知れず~”の延長線上で 、もっといろいろな作家を紹介する5分番組を作りたいね、ということで始まったのが、“no art ~”なんです。

濱崎:“人知れず~”は私も観ました。“人知れず”というタイトルが表すように、誰に見せるためでもなく黙々と創作を続ける人たちと、それを見つめる周囲の人たちのまなざしが、とても印象的でした。

牧野:先ほどアウトサイダーアート/アールブリュットという分野は障がい者に限定するわけではないと言いましたが、それと矛盾するようですが、日本の場合、この分野の担い手として知的や精神の障がい者の存在感はかなり大きい。細かい線でキャンバスを埋め尽くしたり、同じパターンでありながら微妙に違うものをリフレインさせたりといった作品は、福祉的な現場でたくさん創られています。

濱崎:私自身、障がい者支援の仕事をする以前は、広告のクリエーティブディレクターをしていたんですが、牧野さんの番組は、映像も音楽も演出もナレーションもすべて抑制が効いて、それでいて大切なことを逃していないとおもうんですね。スタッフの皆さんはどのようなバックグランドをお持ちなんでしょうか?

牧野:“no art~”はこの4月で4年目に入るんですが、これまで90人以上の作家に登場いただいています。ディレクターの伊勢さんとは、2012年にNHK BSプレミアムの番組“新日本風土記”でご一緒したのがご縁の始まり。伊勢さん以外にも数名のディレクターが取材に当たってくれていますが、カメラマンの水野宏重さん、録音の永峯康弘さんは番組当初からほぼずっと担当しています。

視聴者のみなさんが感じてくださる“no art~”の世界観は、生身の作家を前にして、その人に潜む魅力をどう見つけて撮影すれば十分に伝えることができるのか、そんなことをスタッフひとりひとりが意識して現場にのぞんでいるから、あのトーンができるのかも。あらかじめ1つのゴールを設定しているわけではなく、むしろバラバラで、そのバラバラな感性や視点があるからこそ、いまの世界観があるのかなとおもいます。

 

“障がい者”でも“施設の利用者”でもなく、“〇〇さん”。

濱崎: 番組でとくに印象的なのは、登場する作家さんの表情なのですが、どうしたらあんな自然な顔を撮れるんでしょうか?

牧野:そのあたりは、取材現場の“秘密のレシピ”というところもあり、ぼくも正直すべてわかっているわけではないのですが、あえてテクニック的なことを言うと、 変にお子様コトバを使わずに普通の話し方で接する、センテンスを短くする、大きな声で、自然に話す、伝わっているか伝わっていないか不安なときは、もう一度ご本人に聞いたり、近くにいる支援者や家族に遠慮なく尋ねる、といったことでしょうか。

濱崎:つまり、ひとりの人間としてまっすぐ向き合うということですか。

牧野:それに尽きるかと。“障がい者” “作家” “施設の利用者”・・・皆さんいろいろ属性はあっても、結局は“ハマザキさん”という個人に尽きるわけで。取材する側には数日のことですが、職員の方々にとっては毎日のこと。たんなる「利用者さん」だったら、お互いに「もたない」気がします。ぼくたち取材チームもまっすぐ向き合う、というか、むしろ普通でいることで、作家の自然な表情が撮れているのかな、と感じています。

 

“なんだかわからない”って感じも、悪くない。

濱崎:日本の多くの障がい者施設では、作業として、あるいはレクリエーションとして実に多くの方が創作活動を実践していますが、その中からどうやって、いわゆる“作家さん”を探してくるのでしょうか?

牧野:どうやって作家を探してくるのか、という質問は、いろいろな方から受けます。“no art~”に登場いただく作家の周りには、必ずといっていいほど「目利き」のような方がいて、くり返される行為やアウトプットの中から、個性みたいなものを察知する人、家族でさえも気づかずに放っておいた行為から「何か」を見つける人がいるんです。こうした「目利き」が作家本人に代わって、市民会館や街のギャラリー、インターネットなどで発信し、それらを通してぼくらも作家に出会うんです。

ただ、そういう現実的な話とは別次元で、すごい才能を感じさせる人はいるわけで、なぜこの人はくる日もくる日もコツコツ、くり返しのパターンを描き続けることができるのだろう、とか、なぜこんな色の組み合わせを生み出せるのだろう、っておもうことは多々あります。

もちろん、中には「ワタシは描くことで救われる」とか「好きなものを絵にするのは楽しい」とか、言語化できる方もいらっしゃいますが、一方で言語化できない方も多くて、本人は楽しそうだし、作品もすごく魅力的なんだけど、なぜそれを描いているのか、それは本人が本当にやりたいことなのか、本人の心根が計り知れないことが、ままあります。それを知りたくて番組を続けているのですが、でもやっぱり、わからない。

でも、この“わからない”って感じも悪くないなっておもうんですね。“よくわからないけど、なんだかすごい” って世の中にたくさんあるんだよ、ということが伝わるだけでも、“no art~”みたいな風変りな番組があってもいいのかな、とおもうようにしています(笑)。

たとえば轟修杜(とどろき しゅうと)さんという作家がいます。カラフルな絵を描く人で、白い余白の部分と色の入り方がすごくキレイなんだけど、ご本人は自閉症で、自分の表現を自分の言葉で表現することが難しい。でも「絵」は描いちゃう。言葉の代わりなのかもしれないけれど、言葉以上に何かを訴えかけてくる。創ること、そのものが「コトバ」いうのかな。「轟さん」という人のことがよくわかる気がするんです。

実は修杜さんの回は、“no art~”でも珍しく、お父様に撮影してもらったんです。お父様はプロのカメラマンなのですが、カメラの前で創作する息子の姿に、いろいろな発見があったそうです。

轟さんとその作品(番組HPより)

 

渡邊 義紘さんという作家は、とても器用に落ち葉で動物とかを折っちゃう人なんですが、この方も自閉症だけど、逆にすごくよくしゃべる。よくしゃべる、明るい自閉症(笑)

渡邊さんとその作品(番組HPより)

 

同じ落ち葉がモチーフでも、杉本たまえさんという作家は、キャンバスの前で目をつぶって黙していることが多い。何してるんですか、と尋ねると「心で描いているんです」ってぼそっと答える。

杉本さんの作品(番組HPより)

 

こうして文字にしてしまうと、陳腐に聞こえるかもしれませんが、アートに向き合う姿は人それぞれで、僕らはその状況にいて、カメラで撮らせていただいて、「なんだかわからないけど、なんだかすごい」「なんだか一筋縄ではいかない」って気持ちになるんです。

濱崎:「一筋縄ではいかない」っていうコトバ、私も普段障がいのある方と接していて感じています。

牧野:よかった、仲間がいて(笑)。 濱崎さんが“no art~”のスピンオフ特番“富田望生の日日是芸術”(2023年4月放送)の撮影現場でお会いしたミルカさんだって、あのコスプレみたいな風貌で鳥の絵ばかり描いて、しかも大好きな食べ物はケンタッキーフライドチキンだっていうんですから、本当に一筋縄ではいかない(笑)。

ミルカさんとその作品(番組HPより)

撮影現場で女優の富田望生さんと記念撮影

 

そういうところに惹かれちゃうというか、愛すべき人たちだなあっておもうんです。

濱崎:番組の最後にいつもオチみたいシーンがありますが、そういうところにも番組スタッフの「愛すべき」って気持ちが表れていますね。

 

“Art”というコトバのもつ、多様な意味、無限の力。

牧野:最近、“ art ”っていい言葉だなあっておもうんですよね。“アート”ってカタカナにすると「芸術」とか「美術」ってなっちゃうけど、英語だと「技(ワザ)」とか「熟練」とか「教養」とか、いろんな意味が出てくる。「狡猾」なんて意味もあったりして。そういうところがいいなぁって。とくに「狡猾」なんていいじゃないですか、人間臭くて。

濱崎:なるほど。ところで牧野さんはもともと福祉番組がご専門というわけではないとのことですが、初めて知的や精神の障がいのある人に向き合って、戸惑いとかありませんでしたか?

牧野:ありましたよ、いまでもあります。施設を訪問するときは身構えてしまいますが、でもそれってそういうものというか、初めて出会うものには誰だって身構えるとおもうんです。

20代で阪神淡路大震災の発生直後の現場に向かうときも身構えましたし、水俣病の取材で水俣駅のホームに降り立ったときも身構えました。それと一緒にしていいのかわからないけど、自分の知らない世界に出会うときは誰だって緊張するもので、そこからすべてが始まるんですよね。それがフツーかなって。

ただ、“no art~”の場合は、作品のおかげでリラックスできるというのはありますね。間近で作品を見たり、作品を介してご本人や周りの人たちと話したりしているうちに、自分がほぐれるていくというか。やっぱり、”art”っていいなって。

濱崎:さいごに今後の抱負についてお聞かせください。

牧野:取材をさせていただいて、どこでもみんな、いい顔してるなあって。楽しいかどうかはわからないけど、でもいい顔してるなあって、毎回おもうんです。

得体の知れない絵を黙々と描いている作家がいて、“ああ、また始まった”ってニコニコしながら見ている周りの人たちがいて、もちろんそれだけじゃないんだろうけど、でもいい顔してるなあっておもうんですよ。

こういう人いていいよね、こういう番組あってもいいよね、ってたくさんの人に感じてもらえる、細く長く続く番組になるといいなと、スタッフみんなでビール飲みながらよく話しています。

撮影現場での牧野さん

 

【取材を終えて】

牧野さんの“なんだかわからないけど、なんだかすごい”という気持ちを大切にする姿勢に、インクルーシブな社会に近づくヒントをもらいました。

番組はひとつひとつの映像がていねいで、さぞかし時間をかけて撮影しているのかとおもいきや、1日か1日半ぐらいとのこと。私が立ち会ったミルカさんの撮影も数時間ほどでした。

「狙っていた映像が撮れたり、撮れなかったり。それはそれでいいんじゃないかなあ、一期一会ということで」というコトバもまた、障がい者に対する向き合い方に通じる気がしました。

 

“no art, no life”の番組情報はこちら↓

番組ホームページ http://nhk.jp/nanl

NHK Eテレ 毎週日曜あさ8時55分~

       毎週水曜よる23時50分~

〈2つのアンコール情報〉

ミルカさんや渡邊さんも登場の「富田望生の日日是芸術」の再放送は

こちら↓

NHK Eテレ 7月9日(日)午後2:30~3:59

※NHKプラス配信あり

“no art, no life”が一気に観られる「朝までno art, no life」の再放送はこちら↓

NHK Eテレ 7月15日(土)午前1:15~4:15 ※14日(金)深夜

※NHKプラス配信あり

 

取材・文: 濱崎伸洋
Reporting and Statement: nobumihamazaki

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