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interview
5 Dec. 2019

個と向き合い、アクションを。車いすラグビー三阪洋行さんの想いと挑戦。

10月20日に大盛況のまま幕を閉じた「車いすラグビーワールドチャレンジ2019」。日本代表のアシスタントコーチとして本大会の銅メダル獲得にも貢献し、2003年から2012年までは自身も車いすラグビー日本代表の選手として活躍された経験を持つ三阪洋行さんは、ある想いを持って車いすラグビーの普及や発展に尽力されています。ラグビーから、車いすラグビーへ。多様性のスポーツと言われるラグビーに関わり続ける三阪さんの想いと挑戦、そしてその背景に迫りました。

車いすラグビーワールドチャレンジ2019」で選手に指示を送る三阪洋行さん(写真奥、左から2番目)

 

経験を未来に繋ぐ。自分だからこそできる数々の活動。

 

ー今大会で初めて車いすラグビーの試合を観戦したのですが、見れば見るほど見方が変わる、奥が深いスポーツだなと感じました。車いすラグビーは4人で行いますが、三阪さんは15人で行うラグビーも経験されていますよね。(インタビュアー:林編集長)

そうですね。僕はありがたいことに両方経験させてもらっていて、どちらも多様性のスポーツだと感じています。ラグビーであれば、チームの中に背の低い人も高い人もいて、足の速い人もいれば遅い人もいて、器用な人も、不器用な人もいます。それぞれが自分の特性を活かせるポジションで貢献するのですが、それは車いすラグビーにも通ずるところがあります。
車いすラグビーは、選手の障害の程度に応じて0.5点~3.5点の持ち点が振り分けられ、コート上の4人の選手の合計が8点以内にならないといけないルールがあるのですが、他のパラスポーツと比較しても、障害の程度による持ち点の役割が大きい競技なんです。最も障害の重い0.5点の選手と、最も軽い3.5点の選手では、できることが違うので、それぞれ自分のポジションで役割を全うすることが求められます。主に持ち点の低い選手は守備を、高い選手は攻撃を担いますが、点数の低い選手も貢献できるように車いすには工夫が施されています。
また、ラグビーであれば国籍を超えてプレーをすることも特徴の一つですが、車いすラグビーは男女一緒にプレーできることが大きなポイントかなと思います。
障害の程度も背景も一人ひとり違いますし、多様な人達が一つのチームとして同じ目標を達成する姿は、車いすラグビーも含めパラスポーツが持つ魅力だと思います。

ー三阪さんは、日本ラグビーフットボール協会(以下:ラグビー協会)の安全対策委員も務められているそうですね。どういった経緯で委員になられたのでしょうか?

僕自身、高校時代にラグビーをやっている中で怪我をしてしまったのですが、車いすラグビーに出会ったことで新しい世界も開けて、満たされるようなキャリアを歩むことができたと思っているんです。もちろん怪我をして良かったとは思いませんが、ラグビーは他のスポーツと比べても脊髄損傷によって大きな障害を負う可能性が高いスポーツなので、どうしても事故のリスクはつきまとうんです。
そんな中、5年ほど前に、僕の出身地である大阪で同じような事故が起きてしまいました。当初は僕の経験が活かされるだろうと勝手に思っていたのですが、1年半経っても本人や監督がこの先どうしたらいいか分からずに悩んでいるという話を耳にしたんです。結局、怪我をした本人や監督、家族や友人に直接会って話をし、それぞれの不安を解消してあげました。
この時、僕が積み上げてきたはずのものが全く残されていないと感じると同時に、今後も同様の事故が起きてしまう中で、そのたびに責任者が頭を悩ませ、本人がもがき苦しんで自分で前に進むきっかけを見つけないといけない現実に、すごくはがゆい気持ちになったんです。
これから先、これまで自分がやってきたことで何かできないか、と考えた時に、ラグビー協会がサポートできる環境を作ることが重要なんじゃないかと思ったんです。
そこで、協会の知り合いにアプローチして、安全対策委員に推薦してもらいました。

 

ーご自身から手を挙げられたんですね。実際にやられていかがですか?

安全対策委員会は、いかに事故を起こさずに安全にラグビーができる環境を整えるか、ということを議論する場で、事故が起きてしまってからのサポート体制の実現に向けての議論はなかなか難しいという壁にぶち当たりましたね。それでも、事故が起きてしまってからの協会からのサポートの重要性を伝えるのは僕の使命だと思っています。何より僕自身の経験から、事故に遭ってしまった人がラグビー協会からのサポート無しに自力で新しい道を見つけていくのはものすごく体力がいることだと感じていますし、同じように事故に遭った人の話を聞く中でも、事故に遭ったからといってラグビーを嫌いになる人はほとんどいないと感じていますので。ラグビーは、事故に遭った後の人生も繋いでいけるものだと思っています。

もう一つ、僕の経験を伝える手段として、『壁を越える:車いすのラガーマン パラリンピックへの挑戦』という本を出版しました。同じような境遇に置かれる人たちに対して、やっぱり僕の経験を残しておくことが大事だなと感じたので。

ーその他には、どのような活動をされているのでしょうか。

他には、元日本代表キャプテンの廣瀬俊朗さんと一緒に「ONE RUGBY」や「ラグビーキャラバン」という活動をしています。彼とは、ラグビーを通して社会に起こしていきたいアクションや想いが一致しているんです。
ONE RUGBYは、あらゆるラグビーと名のつくスポーツをしている人たちで集まって、ラグビー全体を盛り上げようというプロジェクトです。健常ラグビー、車いすラグビー、デフラグビー、ブラインドラグビー、ビーチラグビー、タッチラグビー…とにかくたくさんのラグビーがあります。
ラグビーキャラバンは、僕が10年以上前から構想していたもので、ラグビーと車いすラグビーそれぞれのトップ選手を呼んで、子どもたちと一緒にラグビーをしながら選手のすごさを感じてもらうイベントができればと思っていて。廣瀬君に声をかけたらすぐに乗ってくれて、今年6月に北九州で初めて開催したのですが、これが結構好評で、今後は沖縄や釜石でも実施に向けて検討しているところです。
こうやってラグビーを繋ぐことで、ラグビーからまたラグビーを選べることを当たり前にしていきたいと思い、布石を打っているところですね。


ー東北に、ご自身のチームも作られていますよね。

2年ほど前に、「TOHOKU STORMERS(東北ストーマーズ)」というチームを立ち上げました。これは挑戦と捉えています。僕の親友で、リオでキャプテンも務めていた庄子選手が仙台にいるのですが、東北は十分な人が集まらないため、メダリストであっても普段の練習環境はほぼ一人だったんです。関東のチームに籍を置いていたものの、チーム練習は年に数回参加する程度でした。
そこで、東北に拠点を置きながら関東からも人が集まってくるチームがあってもいいんじゃないかと思い、スタッフも含め、関東と東北の人が合わさって運営するチームを立ち上げました。
チームのポリシーとして、他のチームからの引き抜きはしないようにしていて、僕らの想いに賛同してくれる選手を受け入れるようにしています。正直、5年くらいかけて形になればいいかなと思っていたのですが、中町選手や橋本選手といった、すでにチームを象徴するような選手が生まれています。

ーワールドチャレンジでも、17歳の橋本選手の活躍が目立っていました。今後が楽しみな選手ですね。

彼には、車いすラグビー界の将来を変えてくれそうな雰囲気がありますね。ただ、最初は親御さんの理解を得るのが大変だったんです。彼が生まれ育ったのは福島県の小さな町でしたので、いきなりパラリンピックに出られるとか、日本代表のエースになれる可能性を秘めているとか言われても、当然親御さんとしては「え?何のことですか?」って感じだったんです。なので僕は、彼の能力やポテンシャルについて、1年かけて親御さんに丁寧に説明をしました。
彼のような選手がきちんとラグビーに打ち込める環境を東北に作れたのは、大きな収穫だと思います。

あとは、2年が経つとちょうど情熱の陰りも出てくる頃なので、関わる人達を飽きさせずに継続させていくために、必ず一人一つは責任のある役割を担わせるように気を配っています。練習場所の予約とか、宿泊場所の手配とか、道具の管理とか。細かいことですが、メンバーひとりひとりにチームの一員である意識を持ってもらうようにしています。まずチームメンバーが全力で楽しんでいないと、誰も振り向いてくれないですし、例えばせっかく興味を持って見学に来てくれた人がいても、練習に来ているメンバーが2人しかいなかったら、ゲームとして成り立たないので競技の魅力を伝えられないですよね。

車いすラグビーワールドチャレンジ2019では日本代表として活躍を見せた中町選手(背番号24)

同じく車いすラグビーワールドチャレンジ2019に出場し、17歳にして活躍が目立っていた橋本選手(写真奥、背番号32)


ー三阪さんは、車いすラグビーをプレーする間口を広げるグラスルーツの活動にも力を入れられていると伺いました。

トップチームに関わるからこそ、グラスルーツの重要性をより痛感しています。東京2020でもレガシーが叫ばれていますが、パラリンピックがパラスポーツの当たり前になってはいけないと思っていて、パラリンピックはあくまでも目指す先にあるものの一つ、という位置づけだと思います。
体を動かすことが楽しいと感じる人。仲間とスポーツをすることが楽しいと感じる人。仲間と何かをやり遂げたくて、クラブチームで勝利を目指す人。このスポーツで世界を見たいと思って日本代表を目指す人。そのスポーツの良さを伝えたくて、トップ選手として活躍し続ける人。いろんな思いでスポーツをする人がいることは、パラスポーツも他のスポーツも同じことですが、障害を持っていると選択肢が限られてしまい、当たり前が当たり前ではない状況なんです。パラスポーツであっても、レクリエーションからトップレベルまでプロセスを踏めるようにすることが重要だと思っています。

もっと言うと、プレーをする人は必ずしも障害者である必要はなくて、健常者も一緒にプレーしたっていいと思うんです。チーム練習で人数が揃わない時も、健常者が一緒にできれば、揃いやすくなりますよね。そうやって規模が大きくなれば、また新たに興味を持ってくれる人も作りやすくなる。チーム運営の観点でも、プレーヤーを増やす観点でも、健常者のモチベーションをいかに作れるか、というのは大きなポイントになっています。
そこで、東北ストーマーズでは、健常者が主役になれる機会を作りたくて「ストーマーズカップ」という大会を開催しています。健常者と障害者が混ざって出場する大会なのですが、健常者にも車いすのスポーツテストをしてもらって、実際に0.5点から3.5点の点数をつけます。ゆくゆくは、ストーマーズカップを健常者大会にしていって、ベストプレーヤーを日本選手権のエキシビションに送り出せたら、と企んでいます。


スト―マーズカップの様子

スト―マーズカップの様子


そのためにも、多くの人が手にできるよう、最低限プレーできる性能を備えた安価な車いすを作りたいと思っていて、まさに今業者さんに相談を持ちかけているところです。

一人ひとりと向き合う姿勢

ー三阪さんのお話を伺っていると、一人の人にフィーチャーされている姿勢をすごく感じます。ラグビー協会の安全対策委員になられた際も、大阪の事故をきっかけに一人ひとりと話をしたことがアクションに繋がっていて、橋本選手を東北ストーマーズに引き入れた際も、1年かけてご家族と話をされていて。
昨今、企業経営においても、大きな組織のコントロール力よりも、個人に向き合う姿勢が問われてきていると感じるので、チームスポーツをする中で一人ひとりの人と向き合われている三阪さんのお話は、組織と個人という点で参考になる気がしています。
個人に向き合うことに対して、思い入れがあるのでしょうか?

人を見て、その人自身がどうなっていきたいのか、どうなっていくといいのかを考え、そのために自分の手の届く範囲でその人に貢献したいという思いは強いですね。

というのも、数年前、ある特別支援学校の講師に呼んでいただいた時に、ショックを受けたことがあったんです。先生と事前打ち合わせをした時に、「できないことがたくさんあるのに、親御さんたちにあれもこれもできると思わせたくないから、子どもたちが夢を持つような話をしないで欲しい」と言われたんです。憤りを隠せなかったのですが、結局講演のときには打ち合わせの話は無視して、僕が子どもたちに伝えたいことを話しました。
講演の後、卒業を控えた3人の子どもたちが僕と話したいということだったので、部屋に入って話をしました。すると、彼らから、「分かってるんです。ここにいると、同じような仲間がいて、自分のことを理解している先生たちがいて、安心して過ごせるけど、社会に出たらそれがなくなり、障害者と健常者では違う見方をされてしまうこと。」と言われたんです。涙をこらえながら。僕は、「大丈夫。やりたいことができる道はあると思うし、サポートしてくれる人も必ずいる。僕も君たちが社会の中で安心だと思えることをどんどん作っていくから、胸張って新しい生活をスタートさせて欲しい」と伝えました。そして同時に、どうして先生たちは夢や希望ではなく不安を与えるような学生生活を送らせてしまったんだ、とやりきれない想いでいっぱいになりました。

それから、僕一人ではすべてを変えることはできないけれど、自分に見える範囲では、その人にとって望ましい未来のために力を注ぎたいと思うようになりました。


チャンスを広げる能動力

ー「自分の手の届く範囲で」ということですが、お話を伺っていると、三阪さんはその範囲をどんどん広げられている感じがしますよね。出会った人たちをきっかけに、次々とアクションを起こされていて。


次々とアクションを起こすようになったのは、高校卒業後のニュージーランドの留学経験が大きく影響していると思います。当時、ネガティブな考え方しかできなかった中で、留学という大きな挑戦の機会を与えてもらって、「変わるならここしかない!」という思いで飛び込みました。4ヶ月滞在するための航空券だけ取って、滞在場所も所属先のチームも確約されていない状況だったのですが、ただただ変わりたい一心でチャレンジしました。

最初の一週間で、ホームステイ先と語学学校、そして所属するクラブチームが決まりました。この時は、迷ったらうまくいかないと思ってとにかく行動し続けたので、行動することで引き寄せられるチャンスがあることを学びましたね。
でも一ヶ月経った頃、このままじゃ何も変われてないなと思ったんです。コミュニケーションが上手くいかず相手に呆れられてしまったり、すでに出来上がっているコミュニティに入っていくことが大変だったりして、気づいたら自分の殻に閉じこもってしまっていました。

何が足りないんだろうと考えた時、自分からアクションを起こしていなかったことに気づいたんです。そこで、まずは床屋さんに行って丸坊主にしてもらって、次の日からは自ら積極的にコミュニケーションを取るようにしました。ホームステイ先でも、みんなが寝るまで必ずリビングに残るようになりましたし、クラブチームの練習でも、分からないところはちゃんと聞くようになりました。すると、自分も楽しくなって、周りも僕のために応えてくれるようになった。もちろん努力も必要ですが、自分から行動を起こすことで、世界が変わっていくことを実感できたんです。その瞬間がたまらなく充実感に溢れていました。ますます意欲が湧いて、次に見える景色がどんどん楽しみになっていって。挑戦する楽しさを学びました。

これまで、甘えられた環境の中で、自分にはできないと思っていたことが、自分にもできるっていう感覚に変わっていきました。それに、これまでは背伸びをしてみんなと同じようにしようとしていたのですが、無理に背伸びをしなくても、二人でやったり、道具を使ったりすればできることもわかりました。できないと思っていたいろんなことを、できることに変えていくことで、当たり前の中に生きる人達と同じように生きていけると思ったら、ものすごく気持ちが楽になったんです。

自分自身もですし、人に対しても同じことですね。できないと決めつけるのではなく、どうしたらできるのか、という視点で助言するようになったのは、この時の経験が元になっていると思います。

ーものすごく能動力がありますね。

よく言われます。笑
やりたいことが多い分、悪く言うと飽き性っぽいところもあるのですが、飽き性と挑戦者は紙一重だと思うので、挑戦者として振る舞うようにしています。


2020年以降に目指すもの


ー最後に、2020年を掴んだボールと考えると、そのボールをどう活用しようと思っているか、教えて下さい。

子どもたちや車いすになったばかりの人たちに、きちんとボールが行き渡るようにパスを繋いでいきたいですね。車いすラグビーやパラスポーツを、誰にでもできるスポーツの選択肢の一つにしていきたいです。

先日、思い描いていた未来と同じようなことが現実に起きたんです。イベントに出た帰り、駐車場で車に荷物を運んでいたら、子どもたちが僕のところにわーっと走ってきて、「車いすラグビーの選手ですか?!サインもらってもいいですか?!」って興奮しながら話しかけてくれて。障害のことは関係なく、純粋に車いすラグビーが競技として面白いと思ってくれて、その選手がかっこいいと思ってくれて、憧れのアスリートとして声をかけてもらえたのは、初めてだったんです。すごく嬉しかったですね。2020年以降も、これを当たり前にしていかないといけないなと思います。


取材を終えて


根っからのラガーマンである三阪洋行さんには、まさに多様性が特徴とされるラグビーの精神が詰まっていました。一人ひとりの特性が異なることを前提に役割分担するラグビーでは、多様性を活かすことがチーム力の強化に直結すると言えます。三阪さんは、自らの経験と強みを活かして活躍されてきましたが、同時に「僕が苦手なことは得意な人の仕事」とおっしゃっていました。まずは自分自身を知り、「できない」を「できる」にするために行動してチャンスを掴む。そして、一つの目標に向けて多様な個が合わさる時、“One for all, All for one”の精神があれば、強固な組織にすることができると感じました。組織は個から成り立っていることを、改めて考えさせられる取材でした。

 

執筆者 杉浦愛実

取材・文: cococolor編集部
Reporting and Statement: cococolor

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