金沢21世紀美術館「lab.5 ROUTINE RECORDS」展 ~身近な存在に出会いなおす~
- 副編集長 / ストラテジックプランナー
- 岸本かほり
金沢21世紀美術館のデザインギャラリーを作品展示の場所としてだけでなく、調査・ 研究・実験の場として開きつつ、そのプロセスをプレゼンテーションすることを目的に2017年より始動した〈lab.〉(laboratoryの略)シリーズの第5弾。2022年月10月1日から2023年3月21日までの約半年間にわたって開催される企画展示「ROUTINE RECORDS(ルーティンレコーズ)」。
金沢21世紀美術館で、人とモノ、人と人をつなぐエデュケーターである吉備久美子さんにお話を伺った。
身近にいる存在に、気づく、出会いなおす
福祉実験ユニット「ヘラルボニー」が金沢市内の特別支援学校や福祉施設、他県の福祉施設に通う知的障害のある人の日常的な繰り返し行動(ROUTINE)によって作り出される音に着目。これまでの視覚的な表現ではない、音を使った表現に挑戦した。ヘラルボニーは、彼らのことをROUTINER(ルーティナー)と呼んでいる。音に対するこだわりは、本人が嫌な気分の時ではなく、幸せ・嬉しい・心地いいと感じているときのポジティブな音を使うことだ。
ROUTINE RECORDSのロゴには、アスキーアートが使われている。「意味をなさないものに注目を。それらが集まると、新しい意味をなす。」という意味が込められている。
lab.内で体験することができるのは下記の3つ。
①日常生活の中の繰り返し行動の音や声(全16音)を聴くことができる。またレコードジャケットに見立てたデザインの中で音を生んでいる人物と背景を知ることができる。
②展示している音や声などを活用してトラックメーカーのKan Sanoさんが制作した音楽を聴ける場所。撮影風景等メイキング映像も見られる。
③会場の中央にあるDJブースでは16音を重ねたり、スピードを変えたりしながら、来場者が自由に創作体験ができる。
ヘラルボニーはこれまで知的障害がある人の才能に着目した活動を行ってきたが、今回のチャレンジはその存在そのものに着目し、肯定するきっかけを作ること。日常で創り出される音とレコードに見立てたデザインで展示そのものをかっこよく見せることで、これまで当事者を遠い存在として感じていた来場者に、より近い存在として、自分事として感じてもらえるような工夫が詰まっている。
言葉に落とし込むのがもったいない「贅沢な体験」
展覧会がスタートするタイミングで、リリースや説明を作ったが、本当はわかりやすい言葉に落とし込みたくない、この展示はわかりやすくなくていいのではないかと思った、と吉備さん。
最初に音・音楽から入る人、展示物に着目する人、ROUTINERの背景に着目する人、鑑賞の順番は人それぞれ。体験者に自ら感じてほしいから、「知的障害」「自閉症」という既に意味のある言葉で先入観・バイアスを与えないように、あえて吉備さんからは体験者に積極的に声をかけないように意識をしているという。
ある日、10代の来場者がDJブースで音を作っていて「これすごく楽しいですね」と言ってくれた。吉備さんが「どんなところが?」と尋ね、待っていると、少し言葉にしづらそうに「これって発達障害のあれですよね。」という言葉が返ってきた。
今回彼が楽しいと思えた感情と、小学校・中学校までに作られた当事者のイメージや記憶がつながったとしたら、これをきっかけに彼の見ている日常や未来が少し違うものになるのかもしれない。
その人の記憶や世の中の見方によって、人それぞれの鑑賞体験が作り出される。展示室内を巡りながら、この場所にいないけれども存在している「誰か」を感じ、自分の中から湧き出る感情や記憶と向き合える。 音を介して人と出会うことができる「贅沢な体験」 だ。
非日常的な空間での体験が、日常に見える風景を変える
美術館は非日常的な空間。この体験をしたことによって、来場者の日常に見える風景が変わるといい、と吉備さん。
展示のオープニングトークに参加した人が「いつも乗っているバスで繰り返し何か言っている人を、なにをやっているんだろう?と思って見ていたけど、次その人と乗り合わせたら、一緒にハミングしてしまいそう。」と話してくれた。この展示を見ることで、その人の日常の物事のとらえ方が変わるきっかけになったようだ。
展示を企画・運営する中で、コロナ禍ゆえ、人の出入りが難しく、福祉施設がブラックボックス化していて、それを内側の人が変えたいと思っていることがわかった。美術館が関わることで音の展示を通して人と人の交流が生まれる、そんな場所になろうとしている。
今回音の提供に協力してくれた福祉施設の方から「施設利用者の普段の行動の音を愛しく感じることができた。」というコメントがあったように、当事者の家族や施設の職員にとっては、身近な存在に出会いなおし、改めてその愛しさや面白さを発見できる場所になる。
一方で、当事者を遠いと感じている人にとっては、音やその人の背景、音楽、DJ体験で当事者と自分との共通点を発見したり、今までの価値観やイメージが変わったりするきっかけになる。
最後に
金沢21世紀美術館は、「まちに開かれた公園のような美術館」が建築コンセプト。2024年で20周年というタイミングでもある今、吉備さんが目指すのは、美術館のアクセシビリティ向上。ハード・ソフト両面から準備を進めて、展示の中でも見えにくい・聞こえにくい人に対して開かれた環境を作っていきたい、と今後の展望を語ってくださった。
非日常的な美術館という空間。そんな空間だからこそ、人々の生き方や日常の見え方を変えうる強い力を持っている。展示方法や、プロジェクトそのものがインクルーシブに作られていることに驚いた。
その人の価値観や記憶によって、受ける印象や聞こえる音が変わるROUTINE RECORDS。言葉に落とし込むのがもったいない「贅沢な体験」を、是非目と耳と心で確かめてきてほしい。
展覧会情報:
「lab.5 ROUTINE RECORDS」展
2022年10月1日(土)-2023年3月21日(火・祝)
撮影:中川暁文 写真提供:金沢21世紀美術館
吉備久美子(きびくみこ)氏
金沢21世紀美術館エデュケーター
英国エセックス大学大学院修了。2003年金沢21世紀美術館建設事務局へ入局し、2004年より現職。金沢市内で学ぶ小中学生約4万人を開館記念展へ招待する学校連携事業を経て、2006年からは小学4年生を毎年招待する「ミュージアム・クルーズ」を担当。2018年に「誰にとっても来館しやすい、楽しい美術館はどんな場所?」をテーマに掲げ、ろう者と共に作品鑑賞会や映画上映会などを実施。現在開催中の福祉実験ユニット・ヘラルボニーによる「lab.5 ROUTINE RECORDS」展を担当。