トランスジェンダーが自分らしく働ける会社へ③~コーポレート編~
- 副編集長 / ライター
- 田中直也
LGBTQ+当事者が自分らしく働ける会社にしていくために、コーポレート部門はどのようなことができるのでしょうか。
連載第3弾では、コーポレート部門に在籍する筆者が、社員の性別移行に伴う「会社における名称の変更」に取り組んだ、コーポレート部門の湯川さん・神尾さんに、取り組みの経緯やその背景をインタビューしました。
今回の連載企画では、当事者・管理職・コーポレートそれぞれの目線でインタビューを行っています。
連載第1弾: トランスジェンダーが自分らしく働ける会社へ①~当事者編~
連載第2弾:トランスジェンダーが自分らしく働ける会社へ②~管理職編~
(左から、コーポレート部門の湯川さん、神尾さん)
――最初にご相談を受け取られたときは、どのようなお話でしたか。
神尾さん: はじめにご相談を受け取ったのは私でした。 大島さんの上司である菅本さんから、部下である大島さんがカミングアウトをしたこと、クライアントや社内など周囲の理解も得られていること、また性別適合手術の準備をしていることなどを、デリケートな内容ではありますが注意深く、事細かに説明してくださいました。 そして、性別適合手術のためには一定の休みをとらなければいけないため、会社の休暇をどう取ればいいかというお話がまずありましたので、LGBTQ+課題について取り組んできた湯川さんと検討を始めたという経緯になります。
――LGBTQ+課題というと、それまでどのような取り組みをされていましたか。
湯川さん: 例えば私たちは、2019年1月に、パートナーシップ制度を会社として制度化しています。これは、休暇などの福利厚生制度を、同性パートナーに対しても適用されるようにするものです。当時の日本国内の企業においては前例が多くはなかったのですが、先駆的に取り組まれていた会社さんにヒアリングを行うなどして、制度化しました。
制度化以前から、ここ4〜5年は「LGBTQ+に関する問い合わせ窓口はどこか」という問い合わせを受けることが年々増えていましたので、私たちとしても、より向き合っていかなければいけないな、という実感はありましたが、性別適合手術に関する今回のご相談は、私たちが把握している限りまだありませんでした。
神尾さん: カミングアウトをして仕事をしていた社員は元々いましたが、休暇をとる際や、トイレを利用する際など、どうしてもご自身あるいは周囲がストレスを感じやすいシーンは多いです。そういった様々なシーンを可能な限り見越して、湯川さんがずっと先手先手を打って、変えられることから一つずつ変えていました。パートナーシップ制度は、ストレスの一部を解決しうる手段でしかないのかもしれません。性別適合手術に関する相談は、全く想定していなかったわけではありませんが、初めての事例だったので、丁寧に対応しようと思いました。
性別適合手術にかかる休暇については、既存の規定を変えることなく、「解釈」を拡げることによってその必要性を認め、積立休暇を取得いただける運用を実現できました。
湯川さん: 性別の不適合は「病気」ではありません、でも、本人の人生に深く関わることであることは、誰もが認めることです。私たちは「私傷病」という扱いで、手術にかかる休暇の取得を認めることにしました。初めてのことではありましたが、診断書をもらうなどの運用ルールもこれを機にきちんと整理しています。
お二人は、大島さんの「本来の性に合った名前に変えたい」という思いにも向き合うことになります。
――「名前を変える」という前例のない取り組みに対して、どのようなことを議論されたのでしょうか。
湯川さん: 実は、かねてからLGBTQ+課題に取り組んできて、いつかは本来の性にあった名前への変更を希望する社員が現れるだろうということを想定はしていました。ただし、氏名というものは当然社会保障とも紐づいているので、戸籍名が変わらないと変えられないというのが原則。一方で、戸籍を変更するためには、その名前で社会生活を送っているという十分な実績がないと変更は認められないという原則もあり、両者がにらめっこ状態なのです。ですので、「その名前で社会生活を送っているという十分な実績」を得るためには、やはりその名前で仕事を送っていることを示すことは重要になると思います。
戸籍名が変えられないのであれば、社会保障などにかかわる氏名とは別に、本来の性に合った名前で会社生活を送ってもらうために、人事システムに登録されている名前を変更することにしました。税や社会保険等で用いている戸籍名とは別の会社で使う名前を登録できますので、まずそちらを変更しました。他の社員と仕事のやりとりをする際は、自動的にその名前が表示されるようにしたり、社員証をその名前に変更したりできるようにしたのです。ご相談を受けてから3か月近くかかってしまったのですが、私たちは会社の人事システム自体をアップデートし、メールやオンライン会議で表示される名前やメールアドレス、顔写真を、大島さん本人が希望するものへと変更していきました。私たちだけでなく、システム部門や社員証・名刺の担当部門の皆さんなど関係するすべての方々にご協力いただき、皆さんで考え、手を動かし、できることをやった結果だったと思います。
社員証などはもちろんですが、システムで表示される「名前」も、全てがスイッチ一つで切り替わるわけではありません。少しずつ少しずつ、大島さんの名前が切り替わっていく ―― 菅本さんと一緒に、メールやオンライン会議、社員検索画面などが順次切り替わっていくのを見つけて、「こっちが変わりましたね」「あっちも変わりましたね」と、喜びあいました。正直私たちも前例のない取り組みだったので、最後までどうなるかわからないことだらけでしたが、こうした努力が実り、その名前で社会生活を送っている実績として認められて大島さんが最終的に戸籍を変更できたときは、本当に、嬉しかったですね。
――あらゆる組織のコーポレート部門の方が、悩みを抱えていると思います。今回の取り組みにおけるポイントはどこだったと思いますか。
神尾さん: 一つは、湯川さんのような「経験のあるリーダーの先導」だと思います。湯川さんは様々な人事システムをよくご存知でしたし、様々な人事制度の設計にも携わってきた方でした。この考え方で本当に大丈夫だろうか、どこかで別の問題が発生しないだろうか、と迷うことは多いと思いますが、今回私たちは皆、湯川さんがいたので安心して前に進めたところがあります。
湯川さん: 組織のルールですから、「勝手に担当者が変えちゃった」ということは許されません。でも、誰もが認める必要な・重要なことであって、誰かが決めてあげることで動けるメンバーがいるのであれば、様々な議論をして、想像して、選択肢を整理した上で、それでも何かあったら、私が責任を取ります、という決断が重要だと感じています。
私が2009年に人事部門に異動した当時、ガンの治療をしながら働いていた社員から、休暇制度について相談があったことがあります。医療技術の進歩によって、場合によっては半日の通院で済む治療のためであっても、その当時は、会社の規定上、まとまって5日間の休暇を取らなければいけない、というルールがあり、その社員は「もう少し柔軟に取らせてほしい」という相談だったのです。 その時に、私の部署のリーダーに当たる方が「所詮会社のルールなのであれば柔軟に変えていこう」と話していました。どうすれば不便な状況を改善できるか、誰かが不利益を被るわけではないことであれば変えていこう、というその時の経験が、私の原体験になっています。
神尾さん: 人事部門が「規則通りにしか動かない」と思われてしまうのは残念なことですよね。規則を変えるのも人事部門の仕事ですし、規則を変えなくても運用や工夫でどこまで対応できるかという知恵も、人事部門だからこそ思いつくことがたくさんあります。
パートナーシップ制度をつくった時も、私たちは「LGBTQ+に関する専門家」だったわけではありません。それでもルール作りができたのは、私たち皆が知恵を絞り、「できる限りのことはしよう」という思いがあったからです。
もう一つ、今回性別適合手術に関する様々な対応や名前の変更が実現できたポイントとしては、やはり上司であり良き理解者でもあった菅本さんの存在が大きいと思います。大島さんがより仕事に集中し、素敵な人生を送れるように、いろんなことを想定されて、あちこちを駆け回って手を動かしていた菅本さんがいらっしゃったので、周囲もなんとかできる限りのことをしようと自然と思えたんだと思います。当事者やコーポレート部門の方で、同じように悩んでいる方がいれば、良き理解者を見つける、というのも重要なポイントだと思います。
――これから、どのようにLGBTQ+課題に取り組んでいきたいですか。
神尾さん: 今回の事例も、パートナーシップ制度同様、一つの手段でしかありません。できていないことがまだまだあります。「先駆的な制度を作りたい」とは思っていませんが、必要なことを見逃さないで、足りていないことに気づくことが大切だと思っています。会社によってできること・できないことはあると思いますので、他社の事例を勉強したり、マネできそうなことを議論したりして、これからもLGBTQ+に限らず、様々な課題に取り組みたいです。
(取材チームと湯川さん、神尾さん)
取材を終えて
今回の事例で、お二人から、「人事とは、「組織」に寄り添うものではなく、本来その「人」に寄り添うものなのだ」 ということを教えていただきました。 ルールは「人」のために存在していて、「人」のためになっていないルールは変えるべきなのかもしれません。
今回の事例に限らず、コーポレート部門の仕事には、規則や制度の設計を通じて、「働く幸せ」に向き合えるという素晴らしさがあります。
大島さんや菅本さんの思いに親身になって寄り添い、相談すべきところへ迅速に相談し・変えるべきところを着実に変えていくことができた背景には、常日頃から「人」に寄り添い続けてきたお二人の思いがあり、また、会社の規則とは、そもそもそういった「人の思い」の積み重ねの上にあるのだという本当の意味での理解があったからだと感じました。
インタビューの中では、神尾さんからこのような言葉もありました。
「コーポレート部門は、規則通りにしか動かないと思われているかもしれませんが、規則を変えるのも私たちだし、規則を変えなくてもできることの知恵もまた、私たちだからこそ思いつくんです。」
昨今のコーポレート部門には、セクシュアル・マイノリティに限らず、だれもが自分らしく・そして公平に働ける会社づくりのための「答えのない問い」がたくさんあると思います。
今回の連載を通じて、改めて私たちコーポレート部門が大切にすべきことを考えるきっかけになっていただければ何よりです。