障害を持つ親は子どもにどうやって障害を説明するのか?
- ライター
- 栗田陽介
「障害を持つ親は子どもにどうやって障害を説明するのか?」をテーマに、子を持つ障害者同士が集まり座談会を開催しました。
父となって改めて考えだした障害との向き合い方
子どもたちが成長し、親が人と違う(障害者である)事を理解し始める時期、障害の事をどう説明していくべきなのか。自身の障害が子どもたちにとってコンプレックスになってほしくない。そのために親としてどんな心構えなどが必要なのか。
左足に障害を持つ私は2児の父になった事で、そんなことを考えるようになりました。
そもそも私以外の障害を持つ親は、どんな経験や考えを持っているのか聞いてみたい。その言葉をきっかけに、cococolorメンバー協力の元、今回のリモート形式での座談会が実現しました。
–座談会参加メンバー紹介
大胡田 誠(おおごだ まこと)さん:
全盲で弁護士をされている奥様も同じく全盲の方で、9歳の女の子と8歳の男の子を持つ二児の父。
高田 愛(タカタ アイ):
左手に障害を持ち8歳と6歳の男の子を持つ二児の母 / cococolorメンバー
栗田 陽介(クリタ ヨウスケ):
左足が義足、1歳の女の子と0歳の男の子を持つ二児の父 / cococolorメンバー
※cococolor編集長の半澤も同席致しました
私自身が親になり抱え始めた自身の障害と子育てに関する疑問や不安になっていることなどを伺う所から座談会が始まりました。
お子さんに、障害の事を説明した時期はいつ頃ですか?
大胡田さん:
子どもが生まれた瞬間から少しずつ始まっていたなと思います。最初は指さしが始まった頃、「あっ、あっ」など声を発しながら何かを指さす時、夫婦共に全盲の私たちは、応えてあげることができなかったんです。その度に、「パパもママも目が見えないから教えてね」と言葉を理解する前から何度も積極的に伝えるようにしていました。
もう少し子どもが大きくなると、おもちゃなどを手に取り「パパこれ見て」などのコミュニケーションが始まりました。その時も「パパは目が見えないから触らせてね」といったような会話をしていました。何度もこのやり取りを繰り返す内に、「これ見て」から「これ触って」といったように、子どもの方が自然に理解し行動も変化してきました。
高田さん:
私の場合は2歳ころから始めました。私は生まれつき左手の長さが異なります。他にも手首あたりから曲がっていたり、親指もすごく小さいといった外見的にわかりやすい障害があります。息子から「ママ、手どうしたの」と聞かれ始めたことがきっかけでした。最初は、「お母さんのお腹の中にいたころに転んで怪我をしちゃったんだよ」と説明しました。そこから質問攻めが始まりました(笑)
「なぜ?いつそうなったのか」、「お腹の中で怪我をしたとはどうゆうことなのか」と聞かれあたふたした記憶があります(笑)。
まずは自分の母子手帳を一緒に読み返して見る事から始めました。母が私を妊娠してから、風邪をひいて薬を飲んだことや、障害は薬が原因ではない事が診断された事などが記録してありました。最近は、「赤ちゃんが生まれるまでを説明した絵本」を使って、いつ頃から細胞分裂が始まって、手ができてくるのはどの時期で、ママのお母さんが薬を飲んだのは、どのタイミングだったのか等を説明しました。
全てを解明できたわけではないけれど、人が生まれるまでの過程や不思議を子どもながらに色々思い、解釈してくれたのかそれ以降あまり質問を受ける事は少なくなりました。
「障害を隠してほしい」というようなことをお子さんに言われた事はありますか?
高田さん:
今の所はないですね。ただ私自身、特別に障害を隠すような服装をしているわけではないので、そのうち子どもからも腕を隠してとか言われる時がくるかもしれませんね(笑)
大胡田さん:
私は娘が小学校1、2年生位の時、「パパ一人で歩きなよ」と一緒に歩くのを嫌がれた時期がありました。理由を聞くと面倒だからと。
栗田:
普段私は、義足もファッションの一要素としてあえて補装具が露出する服装をすることもありますが、いざ自分の子に、「隠してほしい」と突然言われた時の事を想像すると、きっと応じてあげてしまうと思うんです。そうすると、障害も大事な個性の一つとして自他ともにポジティブな事柄としたい気持ちと子に嫌な思いはさせたくないという父としての思いが矛盾するなと。どちらもいい形で実現していくためにはどうしたらよいか今から考えておこうと思いました。
親の障害を子どものコンプレックスにさせないために大事なこと
大胡田さん:
親が自身の障害を隠したり、悲観したりしてしまっていると、子どもは敏感にそういった行動や空気を察知し、ネガティブに捉えていってしまうと考えています。なので、目が見えなくても仕事もバリバリしているし、人生楽しめているよという姿勢をなるべく子どもに見せるよう心がけています。
高田さん:
今日は仕事の都合で参加が叶わなかったメンバーが一人おり、事前に少し話を伺っています。彼の場合は街中で障害者をみかけ、子どもになぜあの人はああなのかと質問を受けた時などは止めないようにしていると言っていました。見ちゃいけない、聞いちゃいけないといったリアクションを親がとってしまう事が差別の入り口になってしまうからと。
大胡田さん:
昔と比べてそういった事をしっかり説明してあげる親が増えたなと感じています。10年程前は、白杖を使う私を見て、なぜと質問する子どもに対して、そんな事きいてはいけないと答える親が大多数でしたが、最近は、目が見えないから杖で通路を確認しているんだよと説明してあげるケースの方が多いです。
もう一つ、時々親のすごい所を見せておくとよいと思います。
子どもが保育園頃、息子の友達が私の目が見えない事を知ると、「今どこにいるでしょー」と聞いてきた事がありました。その時に、私の息子が「パパは目が見えない代わりに耳がいいからどこにいるかわかるんだよ」と答えてくれた事があり、とてもうれしかったのを覚えています。
栗田:
確かにそうですね。僕の場合は今、自分の義足をおしゃれに装飾したりすることに凝っています。例えば以前、ネイルサロンで義足の装飾をしてもらったり、エンジニアの方頼んで、義足にモーションセンサーを取り付け、足の動きに合わせてドローンが動くようなカスタマイズをしてもらったりしました。そうゆう所で子ども達にもパパは楽しんでいるし、ちょっとすごいなといった姿をアピールしていこうと思います。
高田さん:
私の場合は、縄跳びの二重飛びができるとか鉄棒で逆上がりができるなど、手に障害があってもなんだってできるんだぞ!という所を見せたりしています。後は、絵をかくことが好きで、子どもの保育園で私の描いた絵本を上映したことがあります。園のお友達からすごいねと言われたことがうれしかったと言ってくれていました。
大胡田さん:
妻も全盲で職業は歌手なので、子どもの保育園で演奏会をした時もうれしそうでした。ママがピアノを弾けること自体は、家では当たり前の事だったので、園の友達からすごいねと言われ改めて気づいた事もあったようです。
子育て中、障害が原因で困った事や不安だった事はありますか?
大胡田さん:
子どもがまだ小さい頃、病気になったりした時です。夫婦共に目が見えないので、顔色などもよくわからないですし、本人はまだ幼く言葉もはなせん。触って熱がありそうな事しかわからずとても不安でした。そうゆう時には、ご近所を頼りまくりました。病気以外にも、子どもの爪切りなどは、ご近所で子育て経験のある方にお願いしたりもしていました。
できない事は割り切って周囲を頼る事をためらわない事も大事だと思っています。それと、子どものいたずらに気づけないことですね。子どもっていたずらする時ほど音を立てないんですよ。(笑)ある日、子どもがいないなと思ったら、包丁を持っていたり、壁にいたずらをされていたりといった事がありました。
栗田:
なるほど。ただ周囲を頼るって人によってはハードルが高いなとも思います。自身の経験上ですが、障害を負ってからの心境の変化にはスリーステップあります。
1ステップは、自分の障害が嫌でとにかくコンプレックスに感じています。2ステップ目は、コンプレックスを解消するために、障害者でもできるという事を周囲に認めてほしくて、意固地になんでも自分ひとりでこなそうとします。最後にようやく本当の意味で障害を受け入れる事ができ、周囲に頼ることも解決手段の一つと思えるようになりました。
2ステップ目の時に、大胡田さんと同じシチュエーションになった時、素直にご近所にはたよれないだろうなと思いました。
大胡田さん:
親が誰かを頼って、共に課題を解決していく姿を見せていく事は、子どもにとってもいい影響を与えられていると考えています。色々な大人が自分に関わってくれていることを実感できる機会にもなりますし、一人で解決できない課題は、周囲を頼り、チームワークで乗り越えるという事を、親の姿から学ばせてあげる事もできるので。
高田さん:
私の場合は、自身の障害が先天性だったこともあり、妊娠が分かった時に自分の障害がどれくらい子に遺伝する可能性があるのかが不安でした。担当医へ、なんども相談をし、健診の際に体の部位はしっかりそろっているかなど、細かい状態を教えてもらっていました。それでも実際に生まれてくるまでは不安でした。外見には表れない内部的な障害の可能性だってありますからね。主人とも何度も相談をし、もし障害を持って生まれてきてもどう育てていくべきか事前に考えたりしました。
生まれた以降だと、沐浴はできませんでした。片手で抱っこして、もう一方の手で体を洗う必要があるので、私の場合は手の長さが足りずできなかったので、主人にお願いしていました。
思い出したのですが、耳鼻科での出来事です。その日は、いつも通っている耳鼻科が休みで、初めて行く病院でした。緊急だったのです。大抵耳鼻科では、子どもの診察の場合、お母さんの膝に子どもを座らせて、耳の中を見てもらったり、鼻の中を見てもらったりします。いつも通り、子どもを膝に乗せました。すると、私の障害に気が付いた医師が「お母さんには抑えられないので、看護婦が代わります」と言われました。その時「いやいやいや」と思ったのに、とっさに言葉が出てきませんでした。子どもは案の定、大泣きし暴れ……。看護婦さんの抑え込む力も強まり、親子ともどもグッタリ……。子どもは、親の膝の上のほうが、きっちり押さえつけられなくても安心なのです。
耳が傷ついたらヤバいとか、ケガさせたらまずいとか思うのはわかりますが、医療者から私に対して一言聞いてくれたらと思いました。
それ以降は、特にないですが、やはり自身の障害が原因で子どもがつらい思いや嫌な経験をしてほしくはないなと常に思っています。困っているという点だと、自分以外の障害や例えばLGBTなどのそれ以外の多様性を持った人たちについて子どもから質問される事です。自分の事ならいくらでも語れますが、それ以外となると知識や経験値の面で答えに詰まる事があります。(笑)
相談できるコミュニティや機会の大切さ
親自身が、障害をネガティブに捉えないことや周囲にも頼ること、子に尊敬してもらえるような一面を見せていくことなど、一つ一つの解はとてもシンプルで言われてみればあたり前のような事です。この内いくつかには私一人でも行きついていたかもしれません。但し納得感は得られず漠然とした不安は継続していたであろうと思います。
座談会の中で具体的な経験談を踏まえたお話しを伺えたからこそ、当初の不安や疑問を真に解消できたのだと実感しています。
また、同じような境遇や課題を抱える方に出会えた事に対し、想像以上の安堵感が得られた事に驚いてもいます。多様性に関する課題や不安を共に語りあえる場やコミュニティの必要性を改めて感じる機会ともなりました。
大胡田さん、高田さん、半澤さん、座談会にご協力くださりまた不躾な質問にも親身に答えて下さり本当にありがとうございました。
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