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interview
23 Oct. 2019

“こどもは尊敬すべきパートナー” - 点字と哲学を通して学ぶダイバーシティ

海東彩加
ソリューション・プランナー
海東彩加

新しい点字「Braille Neue(ブレイルノイエ)」を発明した高橋鴻介さんと、NPO法人こども哲学・おとな哲学アーダコーダの代表を務め哲学対話を広める活動をしている角田将太郎さんに“こどもと対話”をテーマに話を伺った。

 

お二人はそれぞれの活動の一環として、点字や哲学対話をこどもたちに伝えている。
彼らはなぜこどもたちに向けた活動を行っているのか。
私は取材に行くまで、その疑問に対して「こどものうちから考えるべきことだから」とか、「吸収しやすいこどものうちに教えてあげたいから」とか、そんな答えが返ってくることを想像していた。

しかし、お二人の考えは私の想像と全く異なるものであった。
二人の答えに共通していたのは、こどもを“パートナー”として考えていること。
こどもとして扱うのではなく、一人の人として。大人とか、こどもとか、関係ない。

「こどもに何かを伝えていきたいとか、教えていきたいというよりは、ただ単純にこどもといると楽しいし発見が多いんだよね。」と笑いながら教えてくれた。

 

可能性を広げる新しい点字「Braille Neue」

 高橋さんが発明した「Braille Neue(ブレイルノイエ)」は点字と墨字を組み合わせた新しいことば。目が見えない人も目が見える人も、同時に読むことができる。

 

「Braille Neue」は目でも指でも読める

 

高橋さんが点字に興味を抱くきっかけとなったのはある目の見えない人との出会いだった。点字をスラスラと読むその人から言われた「点字を勉強すると暗闇で本を読めるようになるよ。」という言葉が高橋さんにとって印象的だったという。

「今まで点字というと目の見えない人のためのものと思っていたが、むしろ文字をアップデートしたものであることにこの時初めて気づいた。」と高橋さん。
私自身、この言葉を伺って衝撃を受けた。
今まで、点字は目が見えない人が文字の代わりに読むためのものであると思い、点字を学ぶ必要性も考えたことのなかった自分が恥ずかしくなった。
点字は欠けたものを補う存在ではなく、可能性を広げる存在なのである。

 

点字との出会いについて真剣に語る高橋さん

高橋さんに話を伺う中で、高橋さんの根底には障害を持つことは何かが欠けていることではなく、むしろ可能性が広がることであるという考え方が根付いているように感じた。自分と異なっていることを“欠けている”と捉えるか、“可能性が広がっている”と捉えるかは、これからダイバーシティを考えるうえで大切なことであると改めて感じさせられた。

 

難しいコトバも知識も必要ない「哲学対話」

NPO法人こども哲学・おとな哲学アーダコーダの代表を務める角田さん。

大人にもこどもにも哲学をもっと身近に感じてもらいたいという思いで、哲学対話のワークショップの開催を日々行っている。

話をするうちに「わかるわかる!」と意気投合していく角田さん(左)と高橋さん(右)

 

哲学ときくと、どんなイメージを抱くだろうか。
私は正直、ちょっと堅苦しそうだな、難しそうだな、と思っていた。でも角田さんから聞く哲学の話は、なんだか一緒に考えてみたくなっちゃう、楽しそうな世界だ。
心って何?男女の友情は成立するの?といった、素朴だけど答えのない問いに対して、みんなで考えていくのが角田さんの行う哲学対話であり、そこに難しいコトバや知識はいらない。

「実際に哲学を学んでみて、世の中のイメージと実際の哲学の間に大きな乖離があると感じた。本当はもっと楽しくて、難しいものじゃないんだよと伝えていきたい。」
そんな思いを持つ角田さんだが、堅苦しく思われがちな哲学に興味を持ち始めたきっかけは何だったのだろうか。

「人の心ってどこにあるのだろう?」と幼少期にふと抱いた疑問が哲学に興味をもったきっかけ。
小さい頃、「人から嫌われたくない。人から怒られたくない。」という感情を自覚したことを機に、嫌われることをしないために相手の心を知りたい、心を知る方法ってあるのだろうか、そもそも心って何だろう、とどんどん問いが生まれてきたところから哲学に興味を持ったという。

人から嫌われたくない、という誰しもがもつ感情から、哲学にまで行きつくところに角田さんの探求心を感じた。

 

“楽しむことのプロ”こどもたちと活動を始めたきっかけ

高橋さんは点字、角田さんは哲学というこどもとは関係のないバックグラウンドを持つお二人は、なぜ今こどもたちに点字/哲学を伝える活動をしているのか。

高橋さんがこどもにワークショップを開くきっかけとなったのは、小学校で行う障害者/高齢者体験に違和感があるという話を聞いたこと。
その体験では目が見えづらくなる眼鏡をかけたり、足におもりを付けたり、障害者や高齢者の気分を味わうことができる。体験をした後は決まって「障害を抱える人は日常生活に困ることが多いから、町中で見かけたら助けてあげようね」というメッセージでまとめられる。
私も障害者体験を行ったことがあり、同じようなことを先生に伝えられたが、正直何一つ違和感はなかった。ただ、高橋さんのお話を伺って、考え方が大きく変わった。

「例えば、目が見えないということは必ずしも損することばかりではない。目が見えないことによって豊かになることもある。それを一方的に助けるべき存在と決めつけるのは、もったいないかもしれない。」

目が見えないことをつらいこととして捉えるのではなく、むしろその状態をいかに楽しむかという視点を持ってみると、世界の見え方が変わってくる。
バイアスなく純粋に楽しむことが得意なこどもたちの存在は、高橋さんがワークショップを行う上でも、学びの多いパートナーである。

高橋さんのワークショップでの様子

 

答えのない問いを持つこと

角田さんも、一緒に哲学対話をすると純粋に楽しく、学ぶことも多いため、こどものためであるのと同時に自分のためにこどもとの活動を行っているとのこと。

哲学対話にとって大切なことのひとつである、答えのない問いを持つこと。こどもたちは目の付け所が面白く、大人には思いつかないような問いをどんどん思いつく。そんなこどもたちの問いからは、哲学を学んできた角田さんにとっても気づきや発見がたくさんあるようだ。

ワークショップでこどもたちとの対話を楽しむ角田さん

しかし、角田さんはこどもたちが成長するにつれ、答えのない問いを考える機会が減っていくことに危機感を抱いている。テストや受験で答えの用意された問題に対して取り組むことだけを行っていると、自分の考えや問いを持ちづらくなり、自分の意見を言うのもおっくうになってしまうという。
そんな中で少しでも答えのない問いに向き合い、自由に考える時間を作りたいという思いからこどもたちと哲学対話を行っている。

 

こどもから学ぶ、これからのダイバーシティ

きっかけや手段は異なっていても、お二人とも学びの多いパートナーと一緒に活動したいという純粋な思いでこどもたちと活動をしているようだ。彼らにとってこどもたちは何かを教えてあげる相手でなく、尊敬できるパートナーである。

お二人との取材を行う中で、私は自分の中にある無意識の思い込みに気づかされた。
障害を抱える人たちのことを助けてあげたい、こどもにはたくさんのことを教えてあげたい、という考えを持っていること自体、ある意味偏見だったのかもしれない、と。

高橋さんと角田さんには今回こどもをテーマに話を伺ったが、きっと彼らにとっては大人とかこどもとか関係ない。そして年齢だけではなくて、国籍、性別問わずどんな相手に対しても対等なパートナーとして接しているのだろうと感じた。

ダイバーシティについて頻繁に語られる今、それらしいことを言いつつも、その人の抱える不足や欠点を憐れむことで思考が止まっていることも多い気がする。そこで思考を止めるのではなく、高橋さんや角田さんのように相手の持つ魅力を知り、お互いに楽しく成長しあえる方法を探していけるといいなと感じた。

どんな相手とでも楽しく遊ぶ方法を知っているこどもたちから、大人たちは学ぶ必要がありそうだ。

取材・文: 海東彩加
Reporting and Statement: ayakakaito

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