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4 Feb. 2020

「落語」と「働くがんサバイバー」から学ぶ がんと就労

高田愛
産業カウンセラー/キャリアコンサルタント
高田愛

11月18日、電通本社1階ホールで開催された「第6回こころのバリアフリーセミナー がんと就労」。「がん」は、今やとても身近な疾患となり、わたしたち働く世代にとっても無関係な病気ではありません。治療しながら仕事ができる人とできない人。仕事ができる時、できない時。様々なケースに応じて、周囲が適切なコミュニケーションを取り、適切なアサイン、サポートができる環境づくりを目的としたセミナーについてレポートします。

がん細胞は健康な人で、
毎日いくつ作られているか?

正解は、約5000と言われています。びっくりしませんか?健康な人で、です。つまり、身体の細胞たちは、5000勝0敗の戦いを毎日繰り返してくれているということになります。そりゃ負ける日もあるし、加齢とともに負ける可能性だって高くなるのも想像つきます。それで、がんになってしまうのです。つまり、誰でも遅かれ早かれなってしまう可能性があります。

生きると仕事の距離

みんな言わないだけで、何事もなく生きている人はいないでしょうけど、死を自分事として意識する前は、仕事って面倒臭いな~と思うものかもしれません。それが、死を目の前にすると、途端に「生きること≒仕事」という風に近づいてくるのです。社会とつながるということ、金銭面においても仕事は心の支えになっていく場合が多いです。事業主としては、「安全配慮義務」と「社員の生きがい」と「不当差別」という3つの視点をもって対応を考えていかねばならなくなっています。難しく考えるとです。

 

制度は大切
でも、一番大切なのは
コミュニケーション

がんと一口で言っても、部位✖ステージ✖がんの種類✖処置✖治療方法✖置かれた状況✖進行✖痛みの感じやすさ✖日によって違う✖性別✖年齢etc……。と順列組み合わせで、一人一人違います。もちろん、基本的な制度も必要です。しかし、一番大切なのは一人一人とコミュニケーションを取ることです。だって、その時々で違うんですもの。

 

     

落語で学ぶ
がんのアンコンシャスバイアス

2人に1人はなる病気と言われながら、私も27歳で耳下腺がんになるまで、まさか自分がなるなんてことを考えたことがありませんでした。つまり、自分がなるか、近しい人がなってみるまで自分事化しないのが、がんという病気なのです。ここでは、自分が良かれと思ってしてしまう行動・言動を落語で学べるという面白いアプローチをとっていました。
 

簡単に説明すると、とある会社で長年勤めている部下が「がん」になるところから始まります。少し、キーワードが含まれているやり取りを抜粋しますと、
社長:「仕事のことは気にせず、治療に専念してくれ。今までありがとう。お疲れ様でした。」
部下:「私は、退職しなければならないのでしょうか……。」
社長:「“がん”やぞ“がん”。仕事をしている場合か。」
部下:「お言葉ですが、今は、そんなに怖い病気ではないんです。幸いなことに初期ですし、治療をしながら仕事を続けていきたいと考えています。」
社長:「毎日毎日、髪が抜け落ちて、やせ細っていって、どんどん骨と皮になっていく君を見て、我々はどんな顔をして仕事をしていけばいいんだ。もしものことがあったら、ご家族に顔向けできない。」
部下:「病気の治療費だけでなく、こどもの学費も捻出しなくてはいけない。それに、仕事が生きがいなんです」
社長:「仕事より、君の命の方が大事だと考えているんだ。治療に専念してくれ。」

といって、クビにしてしまいます。

 そんな話があった直後、社長は、健康診断の結果を自ら確認する勇気がなく、専務に確認してもらいます。そして、自身が“がん”だと勘違いします。そんな社長に追い打ちをかけるように専務が続けます。社長が、部下に放ったことそのままの会話が繰り広げられます。「惜しい人をなくしました。」「すぐに治療に専念してください。どうぞ、今までお疲れ様でした」「“がん”ですよ。仕事をしている場合ですか。」と。そう言われた社長の焦りときたら!!まさに、自分に置き換えて考えたときの状況が繰り広げられます。

たった20分の落語の中で、重要なキーワードが散りばめられていました。偏った知識のせいで、誤った判断をしてしまったり、仕事は金銭面の問題ではなく、生きがいでもあるのだなと改めて気づかされたり。病気になっても、働くことをあきらめなくてもいい環境整備の重要性にも言及されています。自分の中にあるアンコンシャスバイアスにこの落語で気が付いた後に、当事者であるがんサバイバーからの体験談が聞けました。

アフラック生命保険(株) 阿萬 和弘 氏
(株)電通 御園生 泰明氏

別々の会社で働く二人ですが、核となることは同じことを話していました。告知を受けた時の衝撃、現在の仕事、死を目の前にした経験からの使命感、周囲の反応やしてもらって助かったことなどの具体的なエピソードが多くあり、かなり参考になります。

まず、阿萬さんが「今日は決して、保険の営業できたわけではありませんので、肩の力を抜いて聞いてください」と口火を切り、ほっこりした空気ができました。彼は、現在29歳で、2017年8月、27歳の時に甲状腺がんが発覚。当時、北海道函館で保険の代理店営業をしており、健康診断で、甲状腺に異常が見つかります。まだ27歳だし、大丈夫かなと再検査に行って、細胞診を行い、1か月後結果を聞くも、細胞が取れておらず陽性かは、その時は判らなかったそうです。医師に「形が良くないから、とにかく手術をしたほうがいい」と言われたが、1か月も待たされて一体何だったんだ!と当時は、怒りがあったとのこと。後で、細胞診はそこまで精度が高いものではないと理解したが、医師に対する信頼がなくなってしまったこともあり、別の病院を探すことに。結果、横浜の病院で、12月に1週間入院して手術を受け、切除したものを病理検査に出すと、がんだということが確定しました。1か月も休まず、翌年の1月には復職をしました。そして、その年の4月には新規事業推進部(現在、コーポレートデベロップメント部)へ異動となりました。

現在は、がん経験者向けのSNSサービスtomosnote(トモスノート)の企画開発に従事しています。自分自身の経験を活かしながら、保険以外で、がんに対して出来ることはないかと参画した事業の一つです。tomosnoteとは造語で、がん経験者の少し先を「灯す」と同じ境遇の「友」を見つけてもらいたいという2つの意味をかけてtomos、毎日ノートをつけるように使ってもらいたいという気持ちで命名。実は、がんと一くくりに言っても、同じような境遇の人を見つけるのは結構難しいです。もちろん病院等で行われている患者会もありますが、すべての人が患者会に行けるわけでもないし、患者会に行っても同じような境遇の人を見つけることができるわけではないという課題感がありました。自分と同じ境遇かつ、少し先を行く人たちと、出会っていただける場になっていったらいいなと思っています。

この後、tomosnoteの世界観VTR(※最後尾参照)がはじまる。正直、仕事に支障をきたすくらい号泣してしまう。Youtubeでも見られるので、ぜひ見てもらいたい。その中のコピーはこのような感じでした。

私のマラソンは、ある日突然始まった
それは何の前触れもなく
どちらに進めばいいかもわからないまま
孤独な道のりを走り始めた

私は、ゴールまでたどり着けるのだろうか
そもそもゴールなんてあるのだろうか
ここには私しかいないのだろうか、そう思っていた

でも、私だけじゃないんだ
走っているのは、私だけじゃない
あの人も、あの人も、あの人も

みんな不安なんだ
だから一緒に走るんだ
支えてくれる人がいる

助けてくれる人がいる
そばにいてくれる人がいる
想ってくれる人がいる

これは、私一人の道のりじゃないんだ

正に、告知された時、周りにいてくれる人すら見えなくなり、孤独になります。ゴールがあるのか知りたい。自分と同じ部位で、出来れば同じがんの種類の人は、どうやって乗り切ったのか聞きたい。できれば、近しい年齢で、と思えど、なかなか出会うことが出来ません。そんな時に、自分の経験を活かし、何かの役に立ちたいという阿萬さんの使命感を感じました。

 

続いて、御園生泰明さんにマイクが渡ります。「ちょっと今日、体調がすぐれなくて座って進めさせてもらってもいいでしょうか?」と断った後、きびきびとした口調で話し始めた。年齢は42歳。妻と10歳の息子と、6歳の娘がいます。2015年8月に健康診断で肺に影が見つかり、その後、肺腺がんステージ4と告知を受けた。肺の右側下に2.7㎝の原発巣があり、縦郭・鎖骨の上のリンパ節、腸骨にも転移している。手術では取れず、基本的には延命治療しかない。今の医療では、治らないとはっきり言われました。

目の前が真っ暗になりました。家族もいますし、子どもたちは大学まで行かせてあげたいし、好きだから仕事も続けたいし。と、すごい悩みました。もちろん気分が落ち込んで……日中は会社に行っていたので気持ちが逸れていたが、夜家に帰ると布団にくるまって治療法がないかをスマホで検索する。すると怪しいサイトに連れていかれるというようなことが半年くらい続きました。

ある日、1枚の写真に出会いました。それは、久光重貴さんといって湘南ベルマーレの現役フットサル

選手の写真で、僕と同じ肺腺がんのステージ4の方です。久光さんは、今も日本一になろうと思って毎日練習していることを知り、こんなことが実現できるのであれば、家でうじうじしてないで、仕事ぐらいできるぞと思ったのです。その後、気持ちがどんどん前向きになり、もちろん周りのサポートもあって、仕事と治療が両立できるようになりました。

一方で、現実として死というものが目の前に近づいて来ていて、自分の人生が有限なんだと

初めて感じました。人生が有限であるならば、残りの時間を有意義なものにしたい。そんな想いから「社会に対して自分に出来ることはないだろうか。」と考えるようになりました。

 

日本人の1/2が、がんになる
そのうち1/3が、会社を辞めてしまう

理由は、色々ありますが、大きく3つあると思います。①びっくりして仕事をしている場合ではないと思って、自分から辞めてしまう。②落語でも出ていたように辞めさせられてしまう。③やめてくれとは言わないまでも、閑職に追いやられて、辞めざるを得なくなってしまう。といったものです。

色々考えたんですけど、「がん=死」という思い込み、アンコンシャスバイアスがあるのではないか。死ぬんだから仕事なんてしている場合ではない。経営者として、死ぬ人を雇っていてはまずい。と思って辞めさせてしまう。でも、必ずしもそうではありません。

5年生存率
全体で66%、早期発見すれば
95%というケースも

 残念ながら、肺がんステージ4の5年生存率は、一桁台ですが、全体としてはこうなんです。がんと言って一くくりにすることは、雑なんです。こういった間違えた認識や偏見を正していけば、がんサバイバーがいきいきと暮らせる社会を作っていけるのではないか。自分が一枚の写真によって、がん=死という呪縛から解放されたように、元気ながんサバイバーは沢山いるということを、写真を通じて社会に伝えることはできないかという様に考え、LAVENDER RINGという社会活動を資生堂さんと始めました。

 

仕事を休むことの罪悪感と焦り
どうしたいかコミュニケーションを
とりながら進められると嬉しい

Q:復帰を急いだ理由について。

阿萬さん:12月に入院して1週間の入院を経て翌年の1月に復帰した。自分としても強い想いがあって、12月は年度末で、そんな佳境に休むなんて、申し訳ない気持ち。その時の上司は、治療を優先していいよ。と言ってくれたので治療に踏み切れましたが、仕事もしないし、何もできない期間があって、焦りがありました。1月の最初の営業日から、復帰したいと先生と産業医に相談しました。

Q:急いで、復帰してみてどうでしたか?

阿萬さん:ちょっと急ぎすぎたなと思いました。北海道の冬は寒く、術後体力落ちていて体調を崩しやすくなっていました。首のところを手術したので、2つ制限があって、急に動かすことができないため運転ができません。でも、函館は車移動が必須……。さらに、声帯の近くなので、大きな声が出せない。急に代理店に呼ばれて訪問しなければならないことや代理店の営業所で研修をする等できないことが多くて、ちょっと早すぎたなと感じました。

 

「どう?」こまめな
声がけがあって助かった

Q:上司や同僚からどんなサポートがあったのか。

阿萬さん:例えば、代理店と電話しているのを横で聞いていた同僚が「代わりに行こうか?」と言ってくれたり。上司が言ってくれた個人的にありがたかった言葉があって「どう?」と定期的に聞いてくれた。あなた、がん経験して手術したばっかりだから、これくらいの仕事でいいよ。とか言われると、当時は気持ち的にきつかったと思います。コミュニケーションが大切。僕は働きたくて、急いで復帰しました。そんな中で、どうしたいのかを聞いてくれたのは大切なことだった。

 

みんながみんな
オープンにできるわけではない

Q:上司や同僚への伝え方について。
阿萬さん:上司から、同僚に話していいかと聞かれて、即答できず数日待ってもらった。考えて、なぜ自分が休もうとしているのかを、自分から誠意をもって話すべきだと僕は思った。営業所は、所長を入れて6人くらいなので1人ずつつかまえて、話を聞いてもらった。一方で、全員が全員話せる方ばかりではない。がんの種類もそうですし、みんながみんな周囲に言えるわけではないところが難しいところですね。

上司がステッカーを作り
周囲に自分で
説明しなくても
いい状態を作ってくれた

Q:上司や同僚からどんなサポートがあったのか。

御園生さん:多方面でのサポートがありました。当時の上司に「仕事はしたい。ただ、治療で苦しいときもあるし、苦しくないときもあるが、その予測がつかない状態である」ということを伝えると、「やれるんであればやっていいし、やれない時は言ってもらえればサポートするよ」と言ってもらえました。また、その上司は、周囲に自分ががんであることを言わなくていい状態を作ってくれたりもしました。別の上司は、とにかく話を聞いてくれて、熱心にメモをとっていました。なんでそんなにメモを取っているんだろう?と思ったら、たまたま有名な病院の医師と

知り合いらしく、電話で相談してくれて、「御園生、大丈夫だ。」と言ってくれたのです。(もちろん診断したわけじゃないから「大丈夫」なんて言いきれるはずもなくて、勇気づけるための言葉だということは分かっているのですが。)他には、僕の目をじっと見て「大丈夫か?」「こういう制度ができたけど、知ってるか?」など、いつも気にかけて声がけしてくださる方もいます。一方同僚は、僕が居なくても、仕事が回るようにしてくれていて、本当に助けられています。

治療薬によって副作用が違う
時々でサポートを変えるしなやかさ

Q:不自由な時があるということと、そのことの伝えかたについて。

御園生さん:例えば、今は、副作用で38度以上の熱が出ることがあります。解熱剤を飲んでも下がり切らずにふらふらする場合は、今日みたいに座って仕事をさせてもらいます。また、以前の治療薬は、副作用で目が見えなくなっていました。道を歩くのが怖いくらい見えない。そうなるともちろん、打ち合わせでも影響が出てきます。例えば、スライドをスクリーンに映した際、スクリーンから離れて座ってしまうと内容が見えないので、同僚に僕の目の代わりになってもらったりもしました。その前は、爪囲炎になり、スマホのスワイプすら痛くてできないし、ましてやPCを打つことができない状態でした。そんな時は、「ごめん。考えることはできるけど、それを資料化することができないのでお願いしていい?」と頼んだりしていました。できることもたくさんあるけど、出来ないことを具体的に言うと周囲もサポートしやすいのかもしれませんね。

がんについて口にすることすら
タブーな気がしていた

LAVENDER RINGの活動の中で、2019年3月から「うれしかるた」という企画についてかるたチームから説明がありました。サバイバーの人が、普段生活している中で「やってもらってうれしかったこと」や「もらってうれしかったことば」などのエピソードを募集して、かるたを作っています。はじめてみると、意外と「そんなこと言っていいんだ!」とか、「それやってもらえたら嬉しいんだ!」とか、発見が大きかったです。例えば、御園生さんとLAVENDER RINGの活動をするようになって「俺ちょっとこの日は治療があるから、この時間はダメだけど、その後だったら打ち合わせできるよ。」とか「副作用って、どれだけキツイんですか?」と聞いてみると「二日酔いの方が、辛い時あるよ。」なんていう返答があったりする。知る前は、そんなことを聞くことすら、心のハードルが高かった。ハードルが下がって、一緒にチームを組みやすくなるなと感じた。そういう感じで、かるたが世の中に出て行ったらいいなと思う。これは、サバイバーの人たちに応募してもらうサラリーマン川柳的なものなんです。かるた札の「打ち合わせ 治療に間に合う ありがたい」治療しながら打ち合わせできるんだと分ったり。「聞いてくれる それだけでいい 「だけ」がうれしい」とにかく、がんのことを口に出してはいけないものだと思い込んでいたけど、普通に会話するだけで心が軽くなるとか、もっと踏み込んだ話をしてみるとか、逆にこちらの悩みを聞いてもらうきっかけになったりする。より、会社なら仕事しやすくなっていったり、学校なら、勉強しやすくなっていくのだなということを知りました。

LAVENDERRINGの活動に
参加してみたい人も募集中
 活動の紹介があり、ご興味のある方は、下記HPの概要をご覧ください。LAVENDERチームより、開かれた活動にしていきたいと思っているので、興味のある方は、下記問い合わせフォームよりご連絡をいただければと思いますとのことでした。

 

コミュニケーションも
大切だけど、制度も大切
ということで『傷病との両立支援制度』の紹介があり、詳細は今回割愛しますが、盛り盛りのうちセミナーが終了しました。

 

引用
■tomosnote(トモスノート)
・tomosnote WEB版:https://tomosnote.aflac.co.jp
・動画:https://www.youtube.com/watch?v=6dMdm0aROBI

■LAVENDER RING
・活動紹介HP:http://lavender-ring.com/
・問い合わせ:
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdcCKlNCs4rksTRzX-EH3t2ZQ3p4HB0Fxinq4i5sRjKffEURA/viewform

取材・文: 高田愛
Reporting and Statement: aitakata

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