[やさしい日本語]#5 やさしい未来をつくることば
- やさしい日本語プロデューサー
- 吉開章
これまでお話ししてきたように、現代の日本には、日本語が「カベ」となって、情報から取り残されている人がいます。日本語を母語としない外国人やろう者、音声日本語の運用に困難のある聴覚障害者、言語の認識自体に困難を感じる知的障害者など、その理由は様々です。
こうした「ことばのカベ」を考える時、私たちは発信する側にも、受け手の側にもなる、ということを出発点にする必要があります。情報の受け手にとっての困難を考えることは、一部の人にとっての問題を考えることではありません。それは、ことばをつかう、すべての人にとっての問題だからです。
たとえば、日本語を第二言語として用いる外国の方とのコミュニケーション。もしあなたが、何かを伝えたいと思ったら、やさしい日本語の「ハサミの法則」を思い出してください。
はっきり、やさしく、短く言う。そのことで、少しでもわかりあえたとしたら、とても素晴らしいことだと思います。コミュニケーションの可能性が広がったのだと思います。大げさでしょうか。しかし、やさしい日本語の普及に取り組んできた筆者は、そんな瞬間を何度も目にしてきました。ことばのカベは、互いの、ほんの小さな思いやりから、飛び越えることができる。それが、この連載を通じて筆者が伝えたかった「あきらめない」ことの大切さに他なりません。
連載コラム最終回では、やさしい日本語にとどまらず、「ことば」を通して、私たちの社会を、未来を、もっと「やさしい」ものにするためにできることを、考えていきたいと思います。さまざまな場所で試みられている、いいきっかけについても見ていきましょう。
メディアにおける「やさしい」情報発信とは?
2012年に開始したNHK「News Web Easy」では、全国ニュースから1日に5本程度抽出して、やさしい日本語に翻訳し発信しています。また約2年前に立ち上がった西日本新聞の「やさしい西日本新聞」では、地元に住む外国人住民にも伝えたいニュースをピックアップし、記者自らがやさしい日本語に書き換えて発信しています。最近では朝日新聞のwithnewsが、定期的にやさしい日本語でニュースを発信しています。
このような取り組みは、まだまだ普及しているとは言えません。生きるための情報、豊かに暮らすための情報を、文字通り「すべての人」に届ける。そんな取り組みが、これからさらに広がっていくことを期待します。それは、国連が定めたSDGs(持続可能な開発目標)の「誰一人取り残さない(Leave no one behind)」の精神にも通ずるものです。
さらに知的障害者の情報支援に取り組む野澤和弘氏(一般社団法人スローコミュニケーション 代表)は、筆者が定期的に開催している「やさ日ライブ」の第12回で、当事者に関係ある情報やニュースは、支援者を通じてだけではなく、当事者本人が直接理解しやすいものを提供することが必要だ。」と述べています。野澤氏は元毎日新聞の記者であり、1996年には知的障害者のための新聞「ステージ」を発行しました。現在も同法人のウェブサイトで「わかりやすいニュース」を発信しています。
このように、報道機関が当事者に直接伝わりやすい情報発信をすることは、知的障害者、日本語を母語としない人などにとって、社会における自立を促すことにもつながるのです。それだけ、ことばの役割は、暮らしの中で大きなものを占めているということです。
広報やマーケティングに「やさしい」視点を加えるには?
外国籍の住民など日本語を母語としない人が増えてきた現在、政府や自治体などの、もれなく伝える必要のある情報については、多言語対応およびやさしい日本語での発信も増えてきました。さらには、そもそも難しい表現はあらためていこうという指摘も高まり、知的障害者や高齢者にもわかりやすい表現として「やさしい日本語」に注目が集まっています。
これからは、企業における広報活動にも「やさしい」視点を付加する重要性が、ますます高まってくるでしょう。通常の活動としてイメージしやすいマスメディアでの情報発信や、自社のウェブサイトへの掲載においても、「より多くの人に、わかりやすく伝える」という本来の意味で、多言語対応や、やさしい日本語への対応が進んでいってほしいと思います。
また、マーケティングにおいて基本とも言える「ターゲティング」についても、考えてみます。限られた条件の中で、効率的に情報を伝えるためには、伝える相手を絞ることは必要なことです。しかし、マーケティングの意図とは別に、ことばのカベによってその情報を受け取ることのできない人がいることも、また事実なのです。そのことを認識、配慮した上でマーケティングを実施する企業は、今後増えていくことになるでしょう。
広告などメディアを使った「表現物」「コンテンツ」についても同様です。どんなに楽しいコンテンツであったとしても、ことばのカベによって伝わっていない人は存在します。もちろん表現スペースや時間などの制限があるため、何もかも一度に解決することが難しい場合もありますが、ことばのカベの存在を認めた上で、よりたくさんの人に、より深く届く表現を模索していくことは、業界全体の表現手法や技術をアップデートすることにもつながるはずです。ぜひ前向きに議論を深めていきたいと思っています。
例えば、さまざまな情報発信の主体がタッグを組み、議論することにも大きな意義があると思います。もし新聞紙面の一部にでもルビつきのコーナーができれば、新聞を通じてリアルな日本語を学ぼうとする人も増えてくるはずです。
やさしい未来をつくることばとは?
ここまで5回にわたって、筆者が取り組んできたやさしい日本語を中心に、さまざまなことばのカベの存在と、それを乗り越えるためのきっかけについて考えてきました。繰り返すようですが、これらの問題は、社会における一部の人だけの問題ではありません。ことばを使って社会生活を送っている、私たち全員が考えていく必要のある話題です。
幸いにも、ことばを使う場面は日常の中に、たくさんあります。つまり、ことばのカベを乗り越えたり、取り払ったりするチャンスもまた、私たちの毎日にあるということです。ここまでこのコラムをお読みくださったみなさまと一緒に、筆者もひきつづき、やさしいことばがつくる「やさしい未来」を見つけていきたいと思っています。
最後に、コラムシリーズの締めに新刊の紹介で恐縮ですが、7月30日に「入門・やさしい日本語」という書籍をアスク出版から出しました。この本はすべての漢字にルビを振った「総ルビ」の書籍であり、おそらく近年の一般書では初めての試みになっています。これまでのコラムで述べてきたことを盛り込み、「総ルビ」が実際どのような印象なのかを感じられる本になっています。ぜひお手にとってご覧いただければ幸いです。
入門・やさしい日本語(吉開章、アスク出版)
—アートディレクション: 三宅優輝—
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