東日本大震災7年目、今、向き合う多様性課題②
- メディアプランナー
- 八木まどか
3月10日、第1回目の記事でご紹介したイベントに参加するため、仙台市を訪れました。仙台駅周辺はここ数年でぐっと開発が進んだ一方で、そこから電車とバスで30分余りの荒浜地区は、津波被害の影響で人が住めない状態のまま。未だに家の土台だけが残された土地が広がっていました。
これほど近くの場所でも明確な差があるこの地で、今、震災にどう向き合っているのかを取材しました。
受け止め方の違い―シネマてつがくカフェ「『猿とモルターレ』映像記録から“継承”を考える」―
10日午後には、せんだいメディアテークの1階オープンスクエアにて、シネマてつがくカフェ「『猿とモルターレ』映像記録から“継承”を考える」と題したイベントが行われました。参加者は、20~40代を中心に、大学生からお年寄りまでと年齢層の幅は広く、仙台近郊だけではなく関東、関西から訪れた方も含め約20名が集まりました。
まず、『猿とモルターレ』という舞台の映像を参加者全員で鑑賞しました。その作品とは、震災後に岩手県陸前高田市に移り住んで活動した作家の瀬尾夏美さんが、2031年の陸前高田市をイメージして制作した『二重のまち』という文章をもとにして、ダンサーである砂連尾理(じゃれお・おさむ)氏が舞台を構成し、大阪府の高校生たちが1年に及ぶ震災関連のワークショップを経て演じたものです。砂連尾氏は、東北では震災に遭っていませんが、被害にあった地域を何度も訪れ人々から話を聞き、受け取った言葉を「私の身体に少しでも刻印して伝えていかなければ」と感じて作品を構成したと言います。
鑑賞後、映像から感じたことを出発点に、“継承”をテーマとした対話を始めました。
参加者から発せられた言葉のなかで印象に残ったものとして以下のようなものがありました。
・映像を見る中で津波と関連付けてしまう動きがあったりして「きつい」部分もあった
・身体が受け取れる情報には限りがあるが、震災についてはメディアによる報道やメッセージ性が強い形式の情報に溢れていないか
・映像によって伝えることは、「見せてしまう」部分も含め速く受け取られるために、暴力的な側面がある
・継承とは必ずしも事実を正しく伝えることだけではなく、思いやりと工夫がいるのではないか
・継承は、する側・される側双方に負荷がかかるものである
・いわゆる「体験していない」立場だとしても、想像力の手を伸ばそうとする飛距離があるほど、継承に強度が生まれるのではないか
さらに、対話のなかである参加者から、
「まだ語れない人がいることを置き去りにしていないか」
という言葉が投げかけられました。
その方は、東北で震災を経験し、7年たった今も震災に向き合うことに辛さが伴っているそうですが、今回は自分を試すために来たと語りました。
また、「そもそも継承とは外部の人しかできないのではないか」という意見もありました。
誰しも、出来事を伝える側・伝えられる側になる可能性があり、時には相手の意図とは異なる情報の捉え方をしたり、伝えた内容が誤解されたり、拡散してしまったりすることもあります。そのリスクを少しでも知っておくことが、震災を語るときには必要だと改めて感じました。
また、「外部の人」という表現が出てきたものの、「どこに住んでいたか」「目に見える被害があるか」に関わらず、受け止め方自体がそれぞれ多様であるために、一括りにできないことだと感じました。
記録と向き合う―「星と路-資料室-」―
せんだいメディアテークが震災直後に立ち上げたアーカイブ組織「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の記録の一部が、オープンスペースになっていた1階と7階に展示されていました。ふらっと訪れた人でも目にすることができる環境になっていました。
記録の内容は仙台市内のみならず、陸前高田市なども含め東北各地から集められたものでした。震災から現在までのまちの大きな変化を収めた写真、それらを数年後にみた子どもたちの言葉、震災当時に聴いていた音楽とその思いに関するメモなど、この地に住む人々の心の変化も感じ取ることができる記録の数々でした。担当者の方に話を聞いたところ、「やっと来られた」と語る人や、記録映像を見て涙する人もいたとのことです。
また、神戸や新潟など、全国各地で記録の巡回展を行った方々による展示もありました。「震災から10年ではまだ語れへんかったけど、20年経ったら語らなきゃって思うようになったな。」「15年では語れなかったことが21年目に語られたのかもしれない」といった、記録を受け取った人たちの言葉も印象に残りました。
多様な立場の声
「星と路‐資料室-」中で、複数名のLGBT当事者による震災当時の手記も公開されていました。そこには、当時のことが実にリアルに綴られていました。
・避難所やボランティアセンターでは、ことあるごとに男女に分けられたが、非常時だからではなく常時からのことだから仕方ないし、目の前のことで必死だった
・被災地のLGBT当事者として取材を受けたものの、違和感のある形で報道されてしまった
・当事者コミュニティが一時的に機能しなくなったものの、不安な人がいると思い、すぐに体制を整え情報発信をした
・WEBを通じて情報発信がなされ、東北以外の様々なコミュニティから支援を受けた
これらの手記を以前も読んだことがありましたが、今は改めて、このような状況はLGBT当事者に限ったことではなく、障害者、日本語がわからない人、小さい子どもを連れた人などにもそれぞれ発生していたであろう状況だと感じました。しかし、7年前の私がそこまで想像することはできませんでした。ただ、自分の身とせいぜい家族・友人のことを考えることで精一杯でした。今なら違う行動ができるだろうか?と、自分に問いかける思いでページをめくりました。
「非常時」だけの問題ではない
今回の仙台での取材を通じ、ひとりひとりの震災の受け止め方がさらに多様化した印象を持ちました。そして、時間が経ったからこそ、様々な受け止め方があること自体が、注目されにくく、そして可視化されにくくなっていると感じます。
ダイバーシティ&インクルージョンという点では、常時から多様な人がいることを意識して行動していなければ、非常時に対応することは難しいと思いました。ゆえに、非常時と常時の間に線を引いて意識や行動を分けるのではなく、常日頃から多様な者同士、まじりあって対話や議論を重ねていければもっとみんなが暮らしやすい社会になるではないでしょうか。
次回は、災害時におけるダイバーシティ視点の課題をより探っていく予定です。
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