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3 Mar. 2021

TikToker“みゅうの足は姫にあげた”の葦原海さんに、こんなことまで聞いてみた。 ~無目的に出逢えば多様性の受け止め方も変わる!?~

高田愛
産業カウンセラー/キャリアコンサルタント
高田愛

ダイバーシティやインクルージョンのことを、もっと気軽に話せる場を。
そんな考えのもと、電通グループ社内向けにオンライン・セッションの第2回目が開催されました。社外からゲストの方を迎え、参加者との対話を大切にする「カフェ形式」です。

今回社員向けに開催された、内容の一部をこの記事でご紹介したいと思います。

ゲストとしてお越しいただいたのは、葦原海(あしはらみゅう)さんです。彼女は、16歳の時に事故で両足を切断しています。現在は、タレント・モデルとして活動されています。コロナになって今まで敬遠してきたTikTokにハマった私。若い子の多様性の意識は、全く違うものにアップデートされているのかも!?そう感じた理由や、そこで釘付けにさせられたみゅうさんを皆さんにご紹介したいと思います。

参考記事:1回目のカフェ重度難聴Youtuber 牧野友香子さんに、こんなことまで聞いてみた。

SNSが変えるかもしれない多様性意識

グラフは、40~50代の参加者の回答です。YoutubeとTikTokの視聴時間が伸びた私。いやいや、若者のメディアだし、私には関係ないと思っていましたが……視聴してびっくり!!マイノリティーが、チャンネルを持って、自ら情報を発信しているではないですか!!LGBTQや、身体障害者、ダウン症、発達障害……。これには「自立の選択肢」が広がる可能性も感じられ、今まで触れてこなかった世界をエンタメとして見ながら育っていく若者たちって、私たちとは全く違う多様性の感覚を持っていくのだろうなと思いました。未来は明るいなと思ったのです。

TikTokって、思わぬ発見があるメディア

調べてみると、投稿される内容は「2018ダンス→2019動物→2020生活情報」へと、変わってきていたのです。そして、私が体験したように「無目的」に見てしまうメディアだから思わぬ発見があるんです。今回ゲストでお呼びした“みゅうさん”もたまたま発見して、これはと思い突撃メッセージを送ったことから、今回のカフェゲスト出演へと結び付きました。

みゅうさんのTikTokを1度見て!!

フォロワーは200600!!※2021/2/27時点。彼女のTikTokは、思わず全部見てしまいます。なぜかというと、とにかくかわいい(すみません)。それ以上に、彼女のトイレの行き方、着替え方、寝るとき、階段を上がるとき、車の乗り降り、料理などの何気ない日常的な動作が公開されているからです。下記、みゅうさんのTikTok動画です。

みゅうさんTikTok①日常動画:乗り降り編
みゅうさんTikTok②日常動画:階段編
みゅうさんTikTok③日常動画:お料理編

みゅうさんの登場

まずは、みゅうさんの自己紹介から。「新潟生まれ、名古屋→現在は、千葉在住。趣味は、お菓子作りとセルフネイルで、一見インドアに思われがちなんですけど、コロナの前は本当にほとんど家にいないぐらい、アウトドアでした。」と語る。「お仕事としては、ファッションショーや、広告などモデル業とイベントMC、講演など。あとは、観光地のバリアフリーアドバイザーとして、車いすユーザーの視点で意見を提供したり、パンフレットのモデルとかをさせていただいています。地域活性化にかかわる仕事も増やしていきたいと考えています。活動理念としては、いわゆる障害者とか健常者と呼ばれる中での壁を壊したり、不必要な固定概念をエンタメの力で変えていくことを目的としています。この後、いろいろ会話形式で対話していけるということで、皆さんからの質問に対して答えていけたらなと思っています。」との言葉に、参加者のテンションも上がります。

ぶっちゃけて語るのはなぜ?
まず、MCから「この講演準備をきっかけにTikTokをダウンロードして見るようになりました。みゅうさんの動画も冷静に考えると凄い内容なのに、なかなか出来ることではないなと思うんです。発信の原動力となるものについてお伺いしたいと思います。」と問いかけてくれました。

ただ知らないだけなんです
すると、みゅうさんは、はっきりキッパリと話してくれます。「まず(みゅうさんにとって)“根本的に隠す必要がない”んです。そもそも、自分がなってみるまでは、周囲に車いすユーザーもいなかったので全く知らなかった。健常者が障害者を助けなければいけないとか、サポートしなければいけないと、なんとなく社会が思っていて、それをしなかったら、避けてるとか冷たいと思われがちだけど、実際は、知らないだけなんだなって思うんですよ。」

そう思った入院中の経験も話してくれました。「入院患者の中で両足切断というのは、リハビリの訓練士さんや理学療法士さんにとっても、初めての体験だったようです。その人に対して何がベストなのか、一人一人に向き合うことが大切なんだなと感じたんです。」と。

「自分が本当に言いたくないことは言う必要はないけど、隠す必要がなく、自分が知ってもらいたいと思うことは、私なりに発信したいと心の底から思います。そこまでしなくてもいいよ。と思われるかもしれないけれど、いざ気になった時は聞きにくいし、接する機会がなかったから解らないだけで、TikTokを通じて自然と知ってもらえたらいいなと思っていますし、質問にも答えられるものは、応えていくというのが私のスタイルです。」とのこと。彼女の投稿を見ていても、その思想は強く感じられます。

MCも「言える範囲、言えるようになるまで、別に人それぞれですけど、いざそういう場面に出くわした時に、TikTokで一瞬見たというだけでも違うと思いますし、たくさんの人を勇気づけているのではないかと思います。」とコメント。確かに、彼女から同じ悩みを持つ人は鼓舞され、健常者であっても元気をもらえると思います。

SNSでのフラットな会話により
行動変容が生まれることも?!

今回も、参加者からもいろいろ質問を頂戴します。つづいて「みゅうさんは足がないということですが、オンラインとリアルでの反応の違いはありますか?」と、TikTokでの視聴者さんとのやり取りについて質問がありました。

みゅうさんとしてはリアルでのコミュニケーションと、文章でのコミュニケーションには違いがあると感じているようです。「リアルで、声掛けがそんなに沢山あるわけではなかったんです。でもTikTokだと、文章なので疑問に思っていることを聞いてくれて、それに答えていくことで、若い子が“今まで車いすユーザーに声をかけられずにいたけど、先日声をかけてみた”と報告してくださるかたも。意識的に見たりしないことが、TikTokだと、ふいに入ってくるというのは、意識が変わっていくきっかけになるのだと思います。

また、学校に呼びたいと言ってくれたり。街中で実際遭ったことでいうと“何かお手伝いしましょうか?”と声をかけていただいて、大丈夫です。と答えたら、“TikTokの方ですよね”と言っていただけたり、声掛けをするきっかけが作れているのかなと思います。」

みゅうさんが続けて、実際の視聴者とのやり取りを話してくれました。「”自分の同級生がバスケで怪我をしてしまって、車いすユーザーになってしまったのだけど、私のTikTokを見せたら、次にお見舞いに行ったとき笑顔になってました。”とか、”妹が車いすユーザーになってしまってから旅行行きたいと言わなくなってしまっていたけど、旅行に行こうと言うようになりました”とか、私の周りもそうですけど、私の見えないところでも変化を生み出せていると感じています。」とのこと。対話を通じて、一人一人の行動変容を生み出せている実感を持っているのは、面白いなと思いました。

人を元気にするのに立場は関係ない
つづいて「(投稿し続けられる)パワーの源泉は、どこから来るんですか?」との質問。

「コロナになってから、TikTokの伸びが凄いというのを見て、とりあえず過去の旅行中の動画をUPしてみたら、“車いすユーザーなのに、それを感じさせない”とか、“着物に目が行って、車いすユーザーだと気が付かなかった”というようなコメントがあって、こんなにフラットに知ってもらえるメディアなんだと私自身も感動しました。今まで他のSNSに車いすユーザーということを明らかにした写真をあんまりUPしていなかったのですが、TikTokで若い子たちが、偏見なく知ってくれようとしてくれている様子を見て、いろんな人に知ってもらえるきっかけになったらなと思って本格的に始めました。

基本的に質問返しの動画になっているのですけど、SNSを通じてコミュニケーションをとっていくことが出来たらなと。そして、コメントに応えていくたびに“こんなこと言っては失礼かもしれないのですが、元気をもらいました。”とか言ってもらえたりします。それって、健常者は、障害者を助ける立場だ。と、どこかで思っているから、そういうコメントが出るのかもしれないけど、実際はそうじゃないなと思って、みんな悲しい出来事があったり、つらいタイミングがあったりして、それがバラバラだからこそ、困ったときには誰かに助けてもらったり、健常者でも障害者でも立場は関係ないなと。“悲しいことがあったけど、元気をもらえました”というようなコメントに、私自身元気をいただいているので、私が発信することで、“今の心境から救われた”とか“癒されました”というように、変わってくれることが嬉しいから、投稿し続けられてるって感じです。」と、“元気”や“ほっこり”のやり取りが、投稿継続の原動力のようでした。

足を失ったことよりも
生きてることのほうが大きな衝撃

つづいて「身内にも障害者が何人かいるのですが、障害受容について、きっかけとなったことがあれば、可能な範囲でお聞きしたいなと思います。」と、後天性障害者にとっての障害受容について質問には。

みゅうさんからは「事故の前後の気持ちの変化については、落ち込んだことが正直ないんです。本当に嘘偽りなく、本当になくて。と言っても、つらいことはもちろんあるのですが、足を失ったことに気が付いた時には“あ、脚なんだ。”っていう感じなくらい凄い冷静だった。病院の方や、親とかからも、脚を失ったよと言われなかったので、一人で病院にいる時に、ふと布団をめくって気がつきました。……というのも、長い間ICUにいたり、植皮が済むまで麻酔が入っていて最初のころは、1日のうち5分も目が覚めていなくて、意識朦朧としていた。緊急室にいて、両手点滴でいて無傷なわけがないだろうと自然と頭によぎるようになったわけですよ。頭が凹んでいるかとか、顔がえぐれてるかとか、手に麻痺があるかないかとかも判らなかった。お医者さんに言われていたのは、骨盤にひびが入っているからあまり動かないでねとは言われていたけど、それだけじゃないだろうっていうのは思っていた。何が起こっているかわからない中で、気が付いた時には、あ、脚だったんだって思った。母の泣き顔を見たときに、生きてるんだと思った。それしか覚えていない。生きているほうが、脚を失ったことよりも衝撃を覚えた。早く、この病院のベッドにいたくない。とにかく楽しむことしか考えてなかった。車椅子であることを気にしていなかったんです。」

質問者も「もしかして愚問だったかもしれない。親御さんはどんな気持ちだったのでしょう?」と続けて聞いていました。

みゅうさんは「退院してすぐにレンタルの車椅子で、ディズニーに行っちゃったりしていたんですよ。車椅子になる前と同じように、出かける様子を見ていて、親も受け入れて行けたようでした。」とのこと。この回答には、参加者みんな仰天!!(笑)すごいパワーです。

若者の多様性意識の変化
つづいて「若者の多様性の意識の変化についてどう思われますか?」との質問に

様々な人からのコメントの中で例えば、「“今日車椅子の体験しました”授業でやって、たまたま放課後にTikTok見てコメントしてくれたり、“人間が嫌いになって、持病も、障害もあって、みゅうさんを見て自分も変わっていかないと、と思った”とか、“目の見えない障害があって職場に言うことが出来なかったけれど、話してみようと思う”とか“中学2年生で学校で福祉のレポートを書いているんですけど、みゅうさんのこと書いてもいいですか?”ってわざわざ確認してくれたり。福祉とかバリアフリーとか関係なく、声をかけようと思うというのがフラットでいいなと思います。」と、若い子たちの素直な感覚が、やり取りから垣間見えます。

行先は、行きやすさよりも映えを重視
次の質問者から「車いすで行きやすいところを、事前にリサーチしてますか?」とのこと。

ここでもまた、予想の斜め上をいく回答が飛び出しました。「旅館は若干調べるけど、旅行の観光地については一切調べていかないです。映えしか気にしていないのでwwwインスタでしか検索しない。一人で行くことも少ないから。どうにかその場でなんとか行けることが多いので、基本的に調べていかない。
バリアフリーのアドバイザーとして入らせてもらう時に気を付けていることは、行きやすいことは嬉しいけど、その魅力を損なうものではいけないと思う。行きたいと思うのは、その場所の魅力にひかれたから。環境面のバリアフリーよりも、心のバリアフリーで解決する。歴史的なもの京都の街並みをバリアフリーにするのは、歴史的なものを壊してしまう。過ごしやすかったら行きたい。いけるところで絞るのではなく、行きたいところにどう行くかを考えたらいいと思う。」確かに、車いすでも行きやすいところにに絞ってしまうと、行動範囲が限定されてしまうけど、行きたいところに行って、あとは「心のバリアフリーで解決する」という発想は、至極自然な発想だなと思いました。心のバリアフリーという言葉を初めて好きになりました。

多様性の理解には入り口自体を変えることが必要

最後に「多様性を伝える時、大企業などがどのような佇まいであればよいと思いますか?」という質問がありました。

それに対してみゅうさんは「障害者、パラリンピック、ダイバーシティーとかで発信すると、それに興味がある人しか集まってこない。そういうことではなくて、入口を変えたり、自然と交わるように考えてもらいたい。“福祉感”に見えちゃうのは勿体ない。」それを超えられいくことを期待されいるのだなと思いました。

例えば、映画のタイトルやコピーから想像した“期待したもの”と“観た後の感想”に中途半端に乖離があるとがっかりした気持ちになります。でも、自然にまぶされていたり、予想をいい意味で裏切られた時、人は、心を動かされるものです。私たちも、多様性を人に伝える時は、障害者と健常者、マイノリティとマジョリティなど二項対立で考えることなく(時には、その対立性をうまく使ってということもあるかもしれませんが)、自然に混ぜていくこと、エンタメの中で自然と触れてもらえるものを作ることで、世界を変えていけたらと思えたカフェでした。

 

 

取材・文: 高田愛
Reporting and Statement: aitakata

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